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曹操の塩対応に張松ブチ切れ!曹操が冷たく扱ったのは傲慢ではなく驚くべき理由が隠されていた!

2016年4月12日


 

曹操 死

 

三国志演義では、悪役の曹操(そうそう)ですが、

その横暴ぶりが顕著になるのは、赤壁の前夜の事でしょう。

三国志演義では、劉璋(りゅうしょう)が台頭してきた張魯(ちょうろ)の圧力を

回避する為に、曹操に近寄ろうと張松(ちょうしょう)を送りこみますが、

曹操は、天下は最早、我がモノと驕り昂り張松を軽く扱い怒った張松は、

益州を劉備に売ろうと決意します。

しかし、この辺りの事は正史では、もっと複雑なのです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉璋の使節に、丁重に応じた大人な曹操

朝まで三国志 曹操

 

陳寿(ちんじゅ)が書いた、三国志、蜀志 劉二牧伝には、

その辺りの経緯が詳細に出ています。

劉璋は、曹操が荊州を陥落させたと聞くと、河内の陰溥(いんはく)を

派遣して戦勝を祝わせました。

 

劉璋の使節を受け入れた曹操は、喜び、劉璋には振威(しんい)将軍、

兄の劉帽(りゅうぼう)には、平寇(へいこう)将軍という官位を与えます。

ここで、分かるのは、曹操は、劉璋の使節に無礼な扱いはしていないという事です。

さらに、改めて、将軍位を与えて、劉璋を漢の臣と認めています。

 

つまり、当初、曹操は、劉璋を侮り、横暴に振舞い使者を粗末に扱ったりした事は、

無いという事になります。

 

味を占めた劉璋、また使節を送る

表情 曹操02

 

ところが、曹操から将軍位をもらった劉璋は、気を良くして味を占めます。

 

劉璋「よし、さらに使者を派遣して、曹操と親密になっておこう」

 

こうして、別駕従事(べつがじゅうじ)の蜀郡の張粛(ちょうしゅく)を

再び曹操の下へ派遣します。

今度は、挨拶だけではなく、蜀兵300名に色々な財宝を持たせての訪問でした。

曹操は、今度も丁重に受け入れて、張粛を広漢太守に任じています。

 

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劉璋、しつこくも、また張松を送る 曹操ガン無視

曹操と張松

 

張粛が広漢太守に任じられた事で、劉璋は気をよくしたのか?

駄目押しに、今度は張粛の弟の別駕従事、張松を派遣します。

その頃には、曹操は、劉備を追い散らし、呉征伐に忙しい時でした。

 

曹操「何?また、劉璋から使節が来ただと?一体何の用だ!

ええい、面倒なやつ、、もう官職はやらんぞ」

 

曹操は、若い頃から虚礼(無駄な儀式)というのが嫌いです。

劉璋の事情など分かりませんが、曹操には、頻繁な劉璋の挨拶は、

自分から官位を引きだす為の虚礼として映ったのです。

 

今回、遠路はるばるやってきた張松は、冷たく扱われ、

もちろん官位なども一切、与えられませんでした。

 

 

原因は、劉璋だが、張松、曹操を恨む

 

張松

 

正史でも演義でも張松は、野心が高く、自己承認欲求が強い人物です。

ましてや、前に兄は、広漢太守の官位を与えられているのに、

自分には、何もないという事を我慢できる筈もありません。

 

張松「曹操め、もはや、自分は天下の主だと、蜀など洟(はな)もかけんつもりか!

くそ!くそ!ワシを無視しおって、お前なんぞに従うものか・・」

 

張松はブリブリ怒って、荊州を去り、成都に戻ると曹操をボロクソに貶します。

 

張松「あんな、チビでケチで、女たらしで、弱いモノは軽く見て、

強いモノには媚びへつらう男に、組みしてはなりません。

こちらから、断絶して、禍を絶つべきと存じます。

むしろ、赤壁で曹操に立ち向かい、大勝した劉備こそ

我が殿が頼るに足る男でありましょう」

 

劉璋、自分が原因で、劉備を益州へ迎える

劉備 危機一髪

 

劉璋は、まさか、自分のしつこい使節が曹操を怒らせたなんて、

夢にも思っていませんでした。

 

劉璋「えーっ、曹操って、そんなヤツなの?じゃあ、劉備を頼ろう

張松、劉備のとこまで、行ってきてちょ」

 

こんな間抜けな会話の後に、めでたく、益州は狼、劉備の手に落ちる

という事になるのです。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

こうして見ると、劉璋が外交使節をせめて2回までに留めていれば、

曹操は、劉璋を丁重に扱い、両者の関係が損なわれる事は無かった事になります。

それに、張松が派遣される事もないわけですから、曹操軍が蜀へ入り、

劉備の出番も無かったという結果になったかも知れません。

 

それでも、益州を得るのは、天下三分の基本路線ですから、

何がなんでも実行したでしょうが、もっと大変な労力を必要としたかも知れません。

仮に、劉璋が劉備を蜀に入れないという事になると、

いかに龐統(ほうとう)や孔明の知謀でも益州を落せたかどうか・・・

 

そう考えると、劉備は、劉璋のボンクラぶりに救われて、

天下の一角を占めたと言えるかも知れません。

 

本日も三国志の話題をご馳走様でした。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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