史実によると、騎馬した上で両手で弓が引ける程の
筋力の持ち主だったと言われる董卓(とうたく)。
しかし、洛陽に入るや否や、献帝(けんてい)を擁立して独裁政治を敷き、
暴飲暴食、酒池肉林をほしいままにして、ぶくぶくと肥満し、
馬が驚くと馬車から転げ落ち、味方に裏切られても、
自分で矛を取る事も出来ないまま呂布(りょふ)に斬られています。
では、どうして、董卓はここまで太ってしまったのでしょう?
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この記事の目次
董卓は、太りたくて太ったのではない?
読者の声「あの産廃野郎が、どうして太ったか?なんて知りたくねーよ。
美女、貂蝉(ちょうせん)の話とかでもしやがれ!!」
まあまあ、お怒りはごもっともですが、
時には、当然の常識にあえて疑問を投げかけるのも悪くないでしょう。
そもそも、董卓が大柄であった事は間違いないので、元々、
年齢が行って、太りやすくなっていたのは間違いないでしょう。
しかし、へそに蝋燭の芯を立てて、火を灯すと、3日3晩燃えた
という程に董卓が太ったのには別に理由がありました。
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儒教の価値観では、偉い人は動かない
実は儒教の価値観では、労働は身分の卑しい人間の仕事でした。
文字が書ける知識人の階層は、筆を持ち字が書ければよく、
それ以上の仕事は使用人にさせれば良かったのです。
このような状態ですから、後漢の時代、知識人は、
額に汗するというような労働をしませんでしたし、
それ以上に労働を卑しんでいました。
それは、もちろん、運動不足として跳ね返ってきます。
洛陽に入り、献帝を擁立した董卓も、その当時の価値観、
労働は卑しいに染まっていた事と思います。
西涼で馬に乗り、騎射の術を磨いていた昔は、
そんなに太らなかった董卓も、洛陽でひたすら座り、
馬車で移動する身分になると、どんどん太っていき、
最後には、馬車から転げおちても受け身もとれない
肥満体になったと考えられます。
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中国だけではない欧州でも中世までは労働を忌避した
この労働を卑しいモノと見なす風潮は欧州にもありました。
そもそも、キリスト教では労働は、
楽園で何不自由なく暮らしていた人間の祖、アダムとイブが、
神の言いつけを破って知恵の実を食べた事による罰として、
与えられたとされています。
二人は、神の怒りで何不自由なく暮らせた天界の楽園から、
地上に落され、生きる為に、働かないといけなくなるのです。
こんな感じですから、欧州の上流階級が労働を卑しんだのは
当たり前でした。
彼らも馬車や使用人が担ぐ、輿(こし)で移動していましたが、
運動不足で肥満し、痛風のような症状に苦しんだ者も
多くいるようです。
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爪を伸ばし特権階級を誇示した西太后、自分で衣服も着られない皇帝
欧州においては、宗教改革でルター派が労働の尊さを訴えたので、
労働=卑しいという考えは次第に薄れていきますが、
中国では、最後の清王朝の時代まで、この考えのままでした。
例えば、悪女として名高い、西太后(せいたいごう)は、
手の爪をすべて、長くのばしていました。
これは、自分は機織りも、野良仕事もしなくていい、
尊い人間だという自己の身分の高さをPRする為でした。
また、ラストエンペラーで知られる、
愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)は、幼少期に皇帝に即位してから、
自分で服を着た事も洗濯をした事もなく、戦犯として矯正所に入っている時、
一人だけ当たり前の作業が出来ず、作業を滞らせ、周囲の人間に嘲笑されるシーンが、
ラストエンペラーという映画に出てきます。
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三国志ライター kawausoの独り言
さて、労働を卑しむ、儒教の弊害から董卓が短期間で
ブクブク太った理由について、追ってみました。
ちなみに、武芸の訓練をするのは、労働ではなく国を守る為の
貴族の神聖な義務だったので問題はありません。
董卓も呂布や徐栄(じょえい)に任せていないで、たまには、
馬で前線に出ていれば、少しは痩せたでしょうにね、、
本日も三国志の話題をご馳走様・・オガッ!!
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