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董卓はどうしてデブになったの?真面目に考察してみた

2016年5月26日


 

朝まで三国志 董卓

 

史実によると、騎馬した上で両手で弓が引ける程の

筋力の持ち主だったと言われる董卓(とうたく)

しかし、洛陽に入るや否や、献帝(けんてい)を擁立して独裁政治を敷き、

暴飲暴食、酒池肉林をほしいままにして、ぶくぶくと肥満し、

 

董卓 呂布

 

馬が驚くと馬車から転げ落ち、味方に裏切られても、

自分で矛を取る事も出来ないまま呂布(りょふ)に斬られています。

 

では、どうして、董卓はここまで太ってしまったのでしょう?

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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董卓は、太りたくて太ったのではない?

朝まで三国志 kawauso

読者の声「あの産廃野郎が、どうして太ったか?なんて知りたくねーよ。

美女、貂蝉(ちょうせん)の話とかでもしやがれ!!」

 

まあまあ、お怒りはごもっともですが、

時には、当然の常識にあえて疑問を投げかけるのも悪くないでしょう。

そもそも、董卓が大柄であった事は間違いないので、元々、

年齢が行って、太りやすくなっていたのは間違いないでしょう。

 

しかし、へそに蝋燭の芯を立てて、火を灯すと、3日3晩燃えた

という程に董卓が太ったのには別に理由がありました。

 

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儒教の価値観では、偉い人は動かない

曹植

 

実は儒教の価値観では、労働は身分の卑しい人間の仕事でした。

文字が書ける知識人の階層は、筆を持ち字が書ければよく、

それ以上の仕事は使用人にさせれば良かったのです。

 

曹丕 曹植

 

このような状態ですから、後漢の時代、知識人は、

額に汗するというような労働をしませんでしたし、

それ以上に労働を卑しんでいました。

 

それは、もちろん、運動不足として跳ね返ってきます。

洛陽に入り、献帝を擁立した董卓も、その当時の価値観、

労働は卑しいに染まっていた事と思います。

 

戦え于禁㈪02 董卓

 

西涼で馬に乗り、騎射の術を磨いていた昔は、

そんなに太らなかった董卓も、洛陽でひたすら座り、

馬車で移動する身分になると、どんどん太っていき、

最後には、馬車から転げおちても受け身もとれない

肥満体になったと考えられます。

 

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中国だけではない欧州でも中世までは労働を忌避した

 

 

この労働を卑しいモノと見なす風潮は欧州にもありました。

そもそも、キリスト教では労働は、

楽園で何不自由なく暮らしていた人間の祖、アダムとイブが、

神の言いつけを破って知恵の実を食べた事による罰として、

与えられたとされています。

 

二人は、神の怒りで何不自由なく暮らせた天界の楽園から、

地上に落され、生きる為に、働かないといけなくなるのです。

こんな感じですから、欧州の上流階級が労働を卑しんだのは

当たり前でした。

 

彼らも馬車や使用人が担ぐ、輿(こし)で移動していましたが、

運動不足で肥満し、痛風のような症状に苦しんだ者も

多くいるようです。

 

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爪を伸ばし特権階級を誇示した西太后、自分で衣服も着られない皇帝

太后

 

欧州においては、宗教改革でルター派が労働の尊さを訴えたので、

労働=卑しいという考えは次第に薄れていきますが、

中国では、最後の清王朝の時代まで、この考えのままでした。

 

例えば、悪女として名高い、西太后(せいたいごう)は、

手の爪をすべて、長くのばしていました。

これは、自分は機織りも、野良仕事もしなくていい、

尊い人間だという自己の身分の高さをPRする為でした。

また、ラストエンペラーで知られる、

愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)は、幼少期に皇帝に即位してから、

自分で服を着た事も洗濯をした事もなく、戦犯として矯正所に入っている時、

一人だけ当たり前の作業が出来ず、作業を滞らせ、周囲の人間に嘲笑されるシーンが、

ラストエンペラーという映画に出てきます。

 

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三国志ライター kawausoの独り言

kawauso 三国志

 

さて、労働を卑しむ、儒教の弊害から董卓が短期間で

ブクブク太った理由について、追ってみました。

ちなみに、武芸の訓練をするのは、労働ではなく国を守る為の

貴族の神聖な義務だったので問題はありません。

 

董卓も呂布や徐栄(じょえい)に任せていないで、たまには、

馬で前線に出ていれば、少しは痩せたでしょうにね、、

 

本日も三国志の話題をご馳走様・・オガッ!!

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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