司馬家は漢の時代から続く名門の家柄。
特に司馬懿(しばい)は、八人兄弟で全員が優秀、皆字に「達」が入っていたので、
八人まとめて「八達」と称されていた。
ちなみに司馬懿はその次男である。
曹操の士官を全力拒否!
人材マニアの曹操(そうそう)は、そんな司馬懿に当然目を付けた。
再三の出仕命令にも、司馬懿は仮病で対応。
結果、兵士が派遣され、司馬懿は力尽くで出仕させられることになる。
これは想像であるが、名門である司馬家の人間としては、
宦官の家柄の出で成り上がり者である曹操なんぞには仕えたくない!
という意地があったのではないだろうか。
顧狼の相
さて、司馬懿と言えば有名なのは、曹操が司馬懿を評して言った「顧狼の相」ということば。
どういう意味かというと、身体は前を向いたまま首だけ後ろを向くことのできる司馬懿は、まるで狼のようで、油断ならないということ。
そんなこと本当に可能だったの!? と突っ込みたくなる話ですが、
この時代は憤死とかもよく起きているので、案外本当のことだったのかもしれません。
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曹丕の後見人に
仕官して割とすぐに、曹丕(そうひ)の後見人に選ばれる。
そのまま曹丕は曹植(そうしょく)との曹操の後継者争いに突入。
このとき、司馬懿は裏で色々と策略を巡らしたと言われているが、詳細は不明。
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政治家として、そして軍師として
司馬懿は、政治家としての才能にも、軍師としての才能にも恵まれていた。
曹丕の統治下では、もっぱら政治家として、すぐに親政したがる曹丕の都を守る役目を任されていたが、曹丕が40歳で亡くなってしまう。
続いて即位したまだ若い曹叡(そうえい)は、曹丕の信任が厚かった司馬懿を厚遇。
それまでもっぱら政治家としての手腕を発揮していた司馬懿を軍師に抜擢し、その才能を開花させる。
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