韓遂(かんすい)とはどんな人?生涯の大半を反乱にささげた不屈の反骨心【後半】

2016年6月7日


 

韓遂

 

韓遂(かんすい)馬騰(ばとう)と共に長安近辺から引き返すと、涼州へ戻っていきます。

涼州へ帰還を果たした二人は、そのまま自らの領地へと戻っていきます。

二人は義兄弟の契りを交わした仲でありましたが、

領地へ戻ると些細な事から争いになります。

この些細なもめ事がなかなか収まらず、ついにこの争いは戦にまで発展していきます。

韓遂と馬騰の戦はなかなか決着がつきませんでした。

この戦の時に韓遂は涼州にいた馬騰の妻と子供を殺害しております。

馬騰はこの事を知らされると怒り狂い、韓遂との溝は深まっていきます。

 

前回納品:韓遂(かんすい)とはどんな人?生涯の大半を反乱にささげた不屈の反骨心【前半】

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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鍾繇の仲介によって和解が成立

曹操

 

曹操(そうそう)の配下である鍾繇(しゅよう)は関中全域を安定させるために長安へ赴任します。

彼は雍州・涼州が大いに乱れている事を知ります。

特に乱れているのは涼州であることが判明します。

涼州が乱れている原因は、韓遂と馬騰の二人が激しく争っている事が原因です。

彼は涼州の乱れをただすためには二人の間を和解させるのが一番早いと感じ、

二人の間を行き来します。

鍾繇は幾度も韓遂と馬騰の間を行き来してついに二人を和解させることに成功。

こうして涼州に再び平穏な時が訪れてきます。

 

 

 

曹操配下として涼州をおさめる

曹操 五胡十六国

 

韓遂は曹操配下の鍾繇の説得を聞いて馬騰との対立を和解してもらった事がきっかけで、

曹操に人質を差し出し、以後曹操の配下として涼州を治めていきます。

袁紹(えんしょう)と曹操が中原の覇者を決める戦いである「官渡の戦い」が勃発した時に、

涼州では独立勢力が勢いづいて曹操に反旗を翻します。

涼州を守っていた韓遂は曹操に反旗を翻した独立勢力を討伐していきます。

その後も何度か反乱が起きるたびに、反乱軍を討伐し、

曹操配下として実績を積んでいきます。

 

まだ漢王朝で消耗してるの?

まだ漢王朝で消耗しているの  

 

漢中討伐…?

表情 曹操02

 

韓遂は曹操の配下となってからは以前のような反骨心が消え、従順に従っていきます。

しかしこの従順さもある戦のうわさを聞いた事で亡くなってしまいます。

曹操は益州の玄関口である漢中を攻略しようと軍勢を編成します。

韓遂はこの時、曹操の漢中討伐は名分のみでわれらに攻撃を仕掛けてくるのではないかと

危惧を抱きます。

 

馬超仲間入り

 

韓遂はこのような危惧を抱いている時に、

馬超(ばちょう)から「韓遂殿。このままでは曹操に討伐されてしまいますぞ。」と煽られると

従来の反骨精神がもたげてきます。

そしてついに韓遂は馬超・楊秋(ようしゅう)・馬玩(ばがん)など、

関中近辺にいる独立勢力を結集させ、曹操に反旗を翻します。

 

馬超の猛攻

許チョ

 

こうして反乱を起こした韓遂達はさっそく曹操へ攻撃を仕掛けます。

韓遂の指示の元、反乱軍の主将的存在であった馬超は曹操軍に猛攻を仕掛けます。

この時の馬超の攻撃はすさまじく、曹操をあと一歩で討ち取れる寸前まで追い詰めます。

曹操は親衛隊の許楮(きょちょ)のおかげでなんとか命からがら逃げのびます。

 

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賈詡の秘策

賈詡

 

曹操は馬超の攻撃によってあと一歩のところまで追い詰められた事で、

関中軍の手ごわさを感じ、賈詡(かく)に相談

賈詡は「馬超と韓遂が協力体制を築いているため、

関中十部(かんちゅうじゅうぶ=韓遂らの独立した勢力の代表的な十人の事)が、

勢いづいているのでしょう。

ならば二人の間を裂けば、協力関係は瓦解し、関中十部もバラバラになりましょう。

私が見事二人の仲を裂いてみせましょう。」と進言します。

曹操はこの進言を採用し、賈詡に二人の仲を裂くように命じます。

 

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曹操との会見

現実主義曹操

 

韓遂は曹操から手紙をもらいます。

その内容は「二人で話しておきたいことがある」と書いてありました。

韓遂はさっそく返事を書いて、会見場所と日時を決めます。

その後韓遂は一人で曹操の元へ赴き、会見を行います。

曹操は韓遂が来ると

「韓遂よ。俺らが孝廉として推挙された時の都の状況はひどかったな。」

などと思い出話を持ち掛けます。

曹操は韓遂と同じ年に孝廉(こうれん)に推挙された仲間同士でした。

そのため韓遂も「そうだな。あの時はひどかった。」と曹操に話しかけ、

そのあとは二人で思い出話に興じます。

この時の会見は結局思い出話が中心となって、

軍事の事や今後の事は一切話題に上りませんでした。

 

馬超に疑われる

 

馬超

 

韓遂(かんすい)は曹操との会見が終わり、陣へ帰ると馬超に

「韓遂殿。曹操と何を話してきましたか。」と尋ねられます。

すると韓遂は馬超に「いや~。大したことははなしていないよ。」と答えます。

馬超は「敵の主将である曹操と会見してきて、

大した事をはなしていないわけないでしょう。」と再度質問します。

韓遂は曹操と会見して疲労を感じていた事もあり、「何も大した事は話していない」と

イラつき気味で答えます。

馬超は韓遂が何かを隠しているのではないかと疑い始めます。

その場を後にします。

馬超と韓遂の間が裂かれる

馬超 許褚

 

賈詡は馬超が韓遂に疑いを持ち始めたことを知ると、この二人の仲を完全に裂くため、

曹操に韓遂宛に手紙を書いてもらいます。

韓遂は曹操から手紙をもらいますが、手紙の中は黒く塗りつぶしている箇所が多く、

何を言いたいのかわかりませんでした。

そこへちょうど馬超が今後の作戦を相談しにやってきます。

韓遂は馬超に曹操からの手紙を見せて、

「孟起(もうき=馬超の)見よ。曹操ともあろうものがこんな酷い手紙を送ってきた。」と

文句を言います。

馬超は韓遂から見せてもらった手紙を見せて、

色々な部分が黒く塗りつぶしてある事に、違和感を感じます。

曹操といえば当代随一の文章家です。

そんな彼がこのように黒く塗りつぶした手紙を送ってくる訳がない。

これは韓遂が自分で黒く塗りつぶしたのではないか。

と彼は考え、韓遂に深い疑念を抱くようになります。

韓遂も馬超が手紙を見せてから、自分の問いかけに答えず、

黙り込んでいる様子を見て疑念を感じます。

こうして二人の間に疑念が渦巻いていきます。

 

反乱軍敗北

反乱軍敗北した韓遂

 

曹操は黒く塗りつぶした手紙を韓遂に送りつけてから数日後、

反乱軍に攻撃を仕掛けます。

韓遂は陣を敷いて敵軍を迎撃するように馬超や関中十部の諸将に伝えます。

しかし彼らは韓遂がすでに曹操と通じているのではないのか。と疑問を持っていた為、

彼の指示に従わず、バラバラになって迎撃します。

そのため、反乱軍は曹操軍の攻撃にうまく対応できず、敗北してしまいます。

韓遂は早めに退却していましたが、曹操軍の猛追撃にボロボロにされながらも

何とか退却に成功します。

また馬超も曹操軍に敗北してしまいますが、何とか涼州にまで逃げることに成功します。

 

部下に反乱を起こされて亡くなる

部下に反乱を起こされて亡くなる韓遂

 

韓遂は雍州の自分の領地にたどり着くと、羌族(きょうぞく)から力を借りて、

精鋭の騎馬隊を率いて、曹操軍の勇将である夏侯淵(かこうえん)に戦いを挑みますが、

夏侯淵軍の巧みな戦術の前に敗れ、韓遂は再び逃走します。

韓遂は西平郡(せいへいぐん)に退却した後は、

曹操軍がいつ来てもいいように軍備を整えます。

しかし韓遂の部下が反乱を起こし韓遂は反乱した部下達に討ち取られてしまいます。

こうして涼州と雍州2つの州で30年以上反乱を起こし続けた男の幕は、

閉じられる事になります。

 

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三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

こうして生涯反乱を起こし続けた不屈の反骨心を持った男・韓遂ですが、

彼は部下に裏切られたのではなく、病死という説もあります。

韓遂は夏侯淵に敗北した後、病にかかって亡くなってしまいます。

その後韓遂の部下達が韓遂の墓を暴いて、

彼の首を切り落として曹操に送ったと「魏略」という書物に書かれております。

病で亡くなったか部下に裏切られたのかどちらにしても、

韓遂は最後まで反骨心をもって反乱し続けた不屈の男であった事には

間違えありません。

また三国志演義の韓遂は最後まで曹操に反抗したわけではなく、

曹操軍に攻め込まれて敗北した後、曹操に降伏。

その後は夏侯淵と共に涼州を治めた事になっております。

「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。

次回もまたはじさんでお会いしましょう。

それじゃあまたにゃ~」

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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