【赤壁の戦い】なぜ曹操は天下分け目の大戦に負けたの?

2016年6月22日


孫家の降伏派の主張

 

張昭 VS 孫権

 

孫家の国論はなぜ降伏か抗戦するかに割れてしまったのでしょうか。

その原因は曹操が漢の帝を擁していた事が原因です。

曹操は漢の帝である献帝(けんてい)を擁していた為、

表向きは漢の皇帝の軍勢という事になります。

そのため孫家の文官の最高位にいた張昭を筆頭に文官達は孫権に

「曹操は漢の帝を擁しており、逆らえば逆賊の扱いを受ける事になるでしょう。

そのため降伏するべきです」と説得しておりました。

 

孫家の抗戦派の主張

周瑜の魅力

 

文官が曹操に降伏するように説いていましたが、

武官は曹操に抗戦すべしと孫権を促しておりました。

抗戦派の筆頭は亡き孫策(そんさく)の親友である周瑜(しゅうゆ)です。

彼は孫権に「曹操軍は水軍戦に不慣れであることから、

こちらに勝ち目はあります。また長い遠征の為、

北から連れてきた兵達は疲労が溜まっていることも、

わが軍にとって有利に働くことでしょう。」と孫家の軍と曹操軍を比較して、

孫家に勝ち目がある事を説きます。

 

孫権の決断

孫権

 

孫権は降伏派と抗戦派二つの意見をじっくりと聞き、ついに決断を下します。

その決断は曹操と抗戦することに決めました。

この決断をするときに劉備軍の軍師である諸葛孔明から、

孫家と劉家の同盟話が持ち掛けられたことも彼の決断を後押します。

こうして孫権は曹操との決戦を決め、戦う準備を始めます。

 

水軍を率いて鳥林の地に着陣

三国時代の船 走舸

 

曹操は自分が送った書状が孫家の内部に動揺をきたすほどの精神的圧迫を受けていないと知ると、

彼は荊州で手に入れた水軍と赤壁の戦い以前に、

自分の領土で大きな池を作って訓練させた水軍を孫権の前線基地である、

赤壁の対岸にある鳥林(うりん)に着陣。

曹操は鳥林に着くとさっそく隙の無い陣を敷きます。

 

曹操軍が赤壁で敗戦した理由その1【疫病の蔓延】

疫病

 

こうして曹操軍と孫権軍は赤壁の地で互いの陣をにらみ合う事になります。

では曹操はなぜ大軍であるにも関わらず、孫権軍に敗北してしまったのでしょうか。

ここからは曹操軍の敗北理由を挙げていきたいと思います。

曹操軍が赤壁で負けた理由その1は、疫病が発生した事が原因と言えるでしょう。

 

疫病02b

 

曹操軍の兵士は荊州で降伏した兵士以外はすべて来たから連れてきた兵で、

南の土地に慣れていない事や慣れない船旅が原因で軍の中で疫病が蔓延。

そのため曹操軍は手紙の中で80万とかなり盛った数字を孫権軍に示しておりましたが、

実際に戦う事ができる数は疫病が蔓延する前は約20万でしたが、

疫病が蔓延したため、20万より大幅に下回っていたと思われます。

この疫病発生が赤壁の戦いの敗戦の原因の一つだと考えられます。

 

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赤壁の戦いで曹操が敗北した理由その2【水軍力の差】

三国時代の船 楼船

 

曹操軍は孫家討伐を行う前に、鄴(ぎょう)近辺に巨大な人工池である

玄武池(げんぶいけ)を作り、水軍の訓練を行います。

その後曹操は大軍を率いて南下し、孫権軍の水軍と対峙することになります。

しかし孫権軍と曹操軍が数年訓練した水軍とでは実力が全然違いました。

 

三国時代の船 闘艦

 

孫権軍が領地としている揚州は揚子江が最大の河川となっておりますが、

それ以外にも小さい河川が網の目のように張り巡らされております。

そのため揚州に近辺での戦は主に水戦が中心となります。

 

三国時代の船

 

また揚州では民衆の生活には船が欠かせないものとなっていることから、

船を操る兵士の練度が非常に高く優れておりました。

上記2点の理由から、曹操軍が赤壁の地で孫権・劉備連合軍に敗北した

主な原因であると私は考えます。

 

関連記事:三国時代の船はどうなっていたの?三国志の海戦は目的別に船が用いられていた

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

黒田廉が考えてみたシリーズの第一弾である赤壁の地で曹操軍がなぜ負けたのかを

紹介しました。

他にも色々な原因が混ざって曹操軍が赤壁の地で敗北したのだと思いますが、

私が考えたのはこの2点だと思います。

三国志演義ですと孔明が東南の風を吹かせた事をきっかけに

曹操軍の水軍に火攻めをしたことで大敗北することになります。

この東南の風を起こしたエピソードは三国志演義の中での作り話です。

しかしこの赤壁の戦いで敗北していなければ、たぶん天下は曹操の物になっており、

三国志の物語は出現しなかったと思われます。

「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。

それじゃあまたにゃ~」

 

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-三国志の雑学, 執筆者:黒田廉
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