曹丕はどうやって後継者争いに勝ち残って魏の初代皇帝になれたの?

曹操の後継者が決定




曹操 機密保持

 

曹丕(そうひ)は曹植(そうしょく)と熾烈な後継者争いを行っておりましたが、

ついに父曹操は自らの後継者を曹丕に決定します。

曹操が曹丕を後継者とした理由は、天下がまだ定まっていない中

心優しい曹植が魏を率いていく事になれば、

非情の決断ができずに困る事が多く存在するであろう。

それに比べれば曹丕は非情の決断を行う事ができ、魏を保っていく事ができるであろうと

言う理由から後継者として曹丕が選ばれる事になります。

こうして曹丕は曹操の後継者となる事が決まると、やっと一安心することができました。

しかし天下は魏・呉・蜀に三分され定まっておりませんでした。




魏のトップに君臨する

曹操の墓

 

曹操が病のため亡くなります。

曹操が亡くなると魏のトップとして曹丕が立つ事になります。

彼は曹操の跡を継ぐと漢の世を終わらせて魏の王朝を創建することを計画します。

しかし漢王朝の皇帝を殺害して、

魏の王朝を作り出すことはどうしても避けたいと考えておりました。

その理由は後世の批判を回避するためと漢王朝を慕っている民衆や配下の家臣の反発を

少しでも和らげなくてはいけませんでした。

そのため彼はどうやって魏王朝を創建すればいいか配下と共に考えを巡らしていきます。

 

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禅譲方式を確立させる

曹丕

 

曹丕は魏王朝創建させるために家臣達と協議を重ねていった結果、

ついにいい方法を思いつくことになります。

曹丕達が思いついたいい方法は、禅譲というやり方で魏王朝を創建する事です。

禅譲とは皇帝が天子の位を譲る方法で、曹丕が考えて編み出した「禅譲の方式」は、

魏の次の王朝となる晋(しん)や宋・斉・隋(ずい)などの歴代王朝が曹丕のやり方を真似て、

いく事になります。

こうして曹丕は漢の皇帝である劉協(りゅうきょう)に、

漢の王朝が終わりを告げている現状を突き付けて、禅譲を行うように仕向けます。

劉協は自分でも漢王朝が終わりを告げている現状を知っていたので、

曹丕に皇帝の位に就くように要請を行います。

 

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魏の王朝を開く

曹丕皇帝

 

曹丕は漢の皇帝から皇帝の位に就くように要請を受けますがきっぱりと断ります。

その後も劉協は三回も曹丕の元へ使者を出して、皇帝の位に就くようにと要請を出し、

三度目になってようやく曹丕は首を縦に振って皇帝の位に就く事になります。

こうして漢の王朝は終わりを告げて、新たな魏王朝が建国されることになります。

 

 

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