三国志や曹操を分かりやすく紹介|はじめての三国志

menu

三国志の雑学

【曹操の妨害工作】呂布と袁術の同盟を曹操は恐れていた!

この記事の所要時間: 450




袁術 呂布

 

脳みそ筋肉のきまぐれ裏切り男の呂布(りょふ)と、場あたり的で狡賢い

うぬぼれ屋、コンプレックスが強い袁術(えんじゅつ)

曹操(そうそう)に比較すれば、まるで及びもつかないように見える両者ですが、

領地が徐州と揚州で隣り合っていたので、常にくっつく恐れがありました。

曹操は両者が同盟を結ぶのを恐れ、妨害工作をしています。

さて、どのような事をして妨害し、その結末はどうなったのでしょうか?

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:【新企画】朝まで三国志を開催!夜22時~朝6時までノンストップ特別企画!




揚州に逃げた袁術は常に徐州を欲していた

袁術

 

袁術は匡亭(きょてい)の戦いで曹操に敗れ、本拠地の豫州南陽郡も

劉表(りゅうひょう)に押さえられ、命からがら揚州の寿春(じゅしゅん)に逃げて

根拠地にしました。

しかし、揚州は面積こそ広いもののド田舎、人口も生産力も中原には及ばず

ここだけで天下を狙うのは益州一国以上に心許ないのです。

そこで、袁術は常に徐州にちょっかいを出し続けました。

せめて徐・楊二州はないと天下は覚束ないと考えていたようです。

 

自称皇帝闕宣のイケイケ人生05 陶謙、曹操

 

折しも西暦194年、陶謙(とうけん)が曹操の地雷を踏んでしまい

徐州を荒らされ病死したので、袁術は謀略で徐州を我が物にしようとします。

 

事実、袁術は若い頃からの友人であった陳珪(ちんけい)を家来にしようと、

下邳(かひ)にいた陳珪の息子の陳応(ちんおう)を人質に取ろうとしています。

つまり、袁術は徐州の混乱を良い事に図々しく兵を下邳まで出しているのです。

さすが袁術さん、油断も隙もあったもんじゃありません。




反袁術の人々が立ちあがり、劉備を徐州牧に擁立

陸遜 劉備

 

危機感を持った孔融(こうゆう)や陳登(ちんとう)、縻竺(びじく)のような

アンチ袁術の人々は陶謙の後継者選定に堂々と介入します。

可哀想ですが、陶謙のボンクラな息子では袁術に対抗できないと踏んだのです。

もちろん、もし息子を牧にするなら支持しない位の事を陶謙に言ったでしょう。

でなければ、陶謙がアカの他人の劉備に牧を譲るなんて言うわけありません。

 

劉備(りゅうび)は、反袁術の人々に担がれて牧になったので

もちろん袁術と和解など出来ない相談になるのです。

こうして袁術が謀略で徐州を手に入れる計略は失敗します。

 

反袁術ではない呂布が徐州に君臨する

裏切り 呂布

 

袁術は劉備と干戈を交えますが、途中、劉備の客将の呂布が反乱を起こして

徐州の州都下邳(かひ)を占領してしまいます。

この反乱には、袁術の誘いがあったようですが、ここでは触れません。

袁術には好機でしたが、呂布は袁術が考えている以上に狡猾で

劉備と和睦して小沛に駐屯させました。

 

劉備を始末したい袁術は紀霊(きれい)を送り込んで劉備軍を包囲しますが、

そこで呂布は劉備の救援要請を容れて戦争に介入し劉備を守ります。

呂布は、袁術の危険性を知っていて、劉備を生かして自分につける事で

盾にしようと考えていたのです。

 

袁術は、当てが外れて悔しがりますが、呂布と全面戦争を考える程に

無鉄砲ではありませんでした。

少なくとも、呂布は反袁術ではなく是々非々で動いているのは明白、

同盟を結ぶ事で呂布の不信を取り去り、劉備を討たせようと考えます。

 

おあつらえむきに、劉備は呂布の反逆を怒り、兵を集めて下邳を攻めようとし

呂布に察知されて逆襲され曹操を頼って落ちていきます。

これは袁術のチャンスであり、即座に呂布に縁組を求めてきます。

 

陳珪、呂布と袁術の仲を裂こうと画策する

袁術 呂布

 

呂布は袁術との同盟に大乗り気でした。

すでに袁術は献帝を無視して帝位についていたのに呂布は無問題でした。

ここに大義名分などどうでもいい呂布の性格が出ています。

 

ですが、ここで呂布の陣営にいた陳珪(ちんけい)が縁組妨害に動きます。

陳珪は袁術と友達でしたが、献帝を擁している曹操にこそ天が味方すると考え、

袁術の仕官要請を断っていたのです。

 

そして、袁術・呂布同盟を阻止すべく、呂布に対して曹操に味方する

メリットと袁術につくデメリットを力説します。

 

呂布は大義名分より目の前の実利に飛び付きますから、すぐに考え直し

一度嫁に出した娘を連れ戻し、迎えに来た袁術の臣、韓胤(かんいん)を捕え

曹操に送りつけて斬首にさせました。

 

袁術はもちろん激怒して呂布に対して兵を起こします。

これで、袁術と呂布の関係はぶっつりキレた・・かのように見えました。

 

袁術を破るも、大将軍橋蕤を釈放してしまう呂布

呂布 最強 曹操

 

袁術は張勲(ちょうくん)や橋蕤(きょうずい)、楊奉(ようほう)、

韓暹(かんせい)など、マイナー・オールスター数万で呂布を攻めますが

陳珪の謀略で楊奉、韓暹等が寝返り、袁術軍は呂布と楊奉、韓暹の挟み撃ちで

全滅してしまいます。

ところが生け捕られた橋蕤は、何故か釈放され袁術の元に戻っています。

 

実は、呂布は陳珪の息子の陳登(ちんとう)を派遣して曹操についた見返りに

徐州牧の正式な地位を求めますが左将軍を与えられただけで貰えませんでした。

 

この時に陳登だけは広陵太守を与えられたので、

呂布は「陳登と陳珪が、結託して俺を売ったのだ!」と怒り

剣で机を叩き斬りますが陳登は少しも慌てず、

 

「曹操は呂将軍を鷹と例えていて、手柄を挙げない間に

餌(領地)を与えると働かないと言っていた」

 

と呂布を褒めそやして、窮地を切り抜けています。

 

ところで、陳登は、曹操に広陵太守を任されると同時に徐州は任せたと

言われていますが、そこには、呂布のバカと袁術のアホをくっつけるな

という意図も含まれていた事でしょう。

 

褒めそやされて機嫌を直したとはいえ、呂布もそこまでバカではないので、

曹操に不信感を感じ、わざと袁術の配下を殺さず袁術との関係を断たなかったのです。

袁術が生きていれば、曹操も自分を無闇に討伐するまいという

打算が働いていたと感じられます。

 

この辺りも呂布の食えない所ですが、なかなか、

袁術と呂布の関係は切れなかったのです。

 

袁術を恐れた曹操、逃亡した何夔に袁術の消息を確認

曹操

 

曹操は北に袁紹(えんしょう)という強敵がいる関係で

バカにしている割には袁術の動向を恐れていました。

西暦198年、曹操は袁術を逃れて陳郡に逃れてきた何夔(かき)を

司空掾(えん)として採用しましたが、その頃、

袁術が今度こそ危ない!(笑)という伝聞が流れてきました。

 

そこで曹操は何夔に・・

「袁術軍が乱れているようだが本当だと思うか?」

と質問しています。

 

何夔は無難に、易経を引いて、

「袁術は天の道に背いているので天助は得られず乱れるのは当然です」

 

と答えていますが、すでに198年には、グロッキーで崩壊寸前の

袁術の動静を気にしている位ですから曹操は内心では袁術を恐れていたのです。

 

呂布は曹操に反撃され袁術に同盟を打診するが・・

呂布 VS 曹操

 

西暦198年、去就が定まらない呂布は、曹操が荊州の張繍(ちょうしゅう)を

攻めた隙を突いて兗州に手を出しますが、急きょ戻った曹操軍に連戦連敗します。

窮地に陥った呂布は、袁術に援軍を求めます。

197年以来、二度目の袁術&呂布同盟の締結の機運でしたが、

前年に陳の劉寵(りゅうちょう)の領土を乗っ取ろうとして遠征していた袁術は

曹操軍の于禁(うきん)に破られ、兵糧も名だたる将軍も失い

援軍どころではありませんでした。

 

※マイナーですまん!袁術に滅ぼされた陳王 劉寵

 

マイナーですまん!袁術に滅ぼされた陳王 劉寵(りゅうちょう)

 

こうして、まず呂布が滅ぼされ、翌年には袁術が飢えと渇きの中で、

最期を迎える事になります。

曹操の脅威であった袁術&呂布の同盟は実現しなかったのです。

 

三国志ウォッチャーkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

袁術と呂布が、それぞれのいきさつから曹操と基本的には敵対していた

事実は有名でも、両者が手を結んだ可能性について考える人は少ないでしょう。

しかし、二回目はともかく初回の同盟は、陳珪により阻止されていますし

両者が結び付くのを曹操が恐れたのは事実です。

曹操は、陳登から呂布と袁術がひっつく可能性を指摘されていたようで

恨み重なる呂布を懐柔し、一方で狙いを袁術に絞り確固撃破で対応して、

何とか両者の同盟の締結を阻止しています。

 

もし、両者が目先の利益に左右されず手を組んで、北の袁紹と結べば

曹操の中華統一は、史実以上に困難なものになったでしょう。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:【三国志の素朴な疑問】呂布は何歳だったの?

関連記事:こんな立派な悪党は藏覇(ぞうは)ぐらい!鬼神呂布に勝ち曹操を感激させた漢の生涯

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 




 

kawauso

kawauso

投稿者の記事一覧

三度の飯の次位に歴史が大好き

10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、

好きな歴史人物:

西郷隆盛、勝海舟、劉邦、韓信、、etc

何か一言:

歴史は現在進行形、常に最新のジャンルです。

関連記事

  1. 剣と刀ってどう違うの?【いまさら聞けない三国志の大疑問】
  2. 【諸葛孔明の兵法】魏を苦戦させた知られざる孔明のアメーバ戦術
  3. 諸葛瑾(しょかつきん)ってどんな人?偉大な孔明の兄はどうやって乱…
  4. 三国志と水滸伝の違い、あなたは説明できますか?
  5. 井の頭自然文化園の象「はな子」にまつわる光と影&三国志時代の英雄…
  6. 実は無能では無かった?少帝が妃と交わした最後の歌が悲しすぎる
  7. 朱桓(しゅかん)ってどんな人?貴族出身なのに下の者には優しく記憶…
  8. 河了貂や媧燐もハマった?キングダムの時代の占いはテキトーで過激だ…

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 後漢の時代のお金の常識に迫る!当時の金融はどんなモノだったの?
  2. はじめての三国志チャンネル 第1回目 – 自己紹介編 【001】
  3. 李広(りこう)とはどんな人?「飛将軍」と呼ばれた男は李信の子孫であった!?
  4. え?武田勝頼って武田家二代目代理なの!?
  5. 【袁紹と袁術の関係を正す】其の2・勢力図からの考察
  6. 曹操の人材登用法が魏国の安定をもたらす!能力主義者・曹操の二段構えの政策とは?

三國志雑学

“劉備漫画"

ピックアップ記事

おすすめ記事

【母は偉大なり】三国志の英雄を支えた偉大な母たちを紹介! 【はじめての孫子】第6回:勝つために最も大切なことは智謀でも勇気でもなく、緻密な計算 沙摩柯(しゃまか)武蛮族の王|甘寧を討ち取り呉を恐怖に陥れる 孔明の北伐の目標はどこだったの? 【お知らせ】はじめての三国志を常時SSL化しました。 朱然(しゅぜん)ってどんな人?名将亡き後、呉の重鎮として孫家を支え続けた将軍 三国志の猛将に絡まれちゃった!!貴方ならどうする?身を守る究極の方法を伝授します! 32話:ブチ切れる献帝、曹操暗殺を指示

おすすめ記事

  1. 曹操敗れる|幾重にも張り巡らされる孔明の罠
  2. 麃公(ひょうこう)は実在したの?龐煖と李牧に挑んだ秦の将軍
  3. 119話:孔明君のジャングル探検?南蛮討伐本戦
  4. 伍子胥(ごししょ)とはどんな人?復讐の鬼となり、楚を滅亡寸前まで追い詰めた呉の名将【誓い編】
  5. 曹操の曽祖父 曹萌(そうぼう)は元祖、萌えキャラだった?
  6. 何でこんなに孫権は地味なの?
  7. 何進(かしん)とはどんな人?天下騒乱のきっかけを作った大将軍
  8. 【素朴な疑問】中国にも梅雨はあるの?霉雨になると関羽の古傷も傷んでいた!

はじさん企画

袁術祭り
特別企画
異民族
諸子百家
春秋戦国時代
日常生活
はじめての三国志TV
PAGE TOP