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呂布VS袁術、東西嘘合戦、勝利するのはどっちだ!

2017年2月26日


 

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ウガンダには「嘘もつけないようでは大きくなれない」ということわざがあります。

嘘は悪い事、いけない事ですが、巧妙に嘘をついて人を欺けるのは、やはり、

相手がどんな事で騙されるか知っていて、もっともらしく嘘にリアリティを与えるなど

悪い意味で賢い有能な人であるというのも一面の真実です。

三国志の英雄なんて、裏を返せば騙し合いで勝ちぬいた嘘つきばかりですが、

その中でも有名な、呂布(りょふ)袁術(えんじゅつ)を取り上げてみましょう。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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野望の為にお互いが必要だった呂布と袁術

 

呂布と袁術の因縁は決して浅いものではありません。

袁術は、その基本戦略として、揚州と徐州を求めてやみませんでした。

揚州は面積こそ広いですがド田舎であり人口密度が低く、

どうしても開けた徐州が袁術には必要だったのです。

その徐州には劉備(りゅうび)を追放した呂布がいて、

一方の呂布も曹操の圧迫を受けると、袁術の武力を頼るようになります。

 

しかし、同時に、お互いの野望の為には、お互いが邪魔であり、

同盟、戦争、また同盟と離合集散を繰り返していくのです。

 

第1ラウンド、董卓を殺した手柄をネタに袁術にタカる

 

李傕(りかく)郭汜(かくし)によって長安を追われた呂布は、

まず、豫(よ)州南陽(なんよう)の袁術を頼ります。

後漢書によると、袁術は、かつて董卓(とうたく)により一門を殺された仇を

呂布が討ってくれたとして、これを大歓迎しました。

 

呂布は、これに味を占めて「俺は袁家の恩人だあ」と大爆発して居座り

南陽領内で自分の兵が掠奪を欲しいままにするのを放置します。

 

 

(こっ・・このガキゃあ、、恩人だと思って下手に出ておれば、

調子に乗りおってぇ・・孫堅が生きておれば、サクッと殺ってやるものを・・)

 

実は従兄弟の袁紹(えんしょう)に負けない程、器のちっちゃい袁術は、

みるみる不愉快になっていきます。

呂布は、袁術がブチ切れそうな顔をしているのを見て不安になり

張楊(ちょうよう)を頼って南陽を脱出していきました。

 

第2ラウンド、劉備を裏切れば何でもア・ゲ・ル

 

さて、呂布は落ちぶれて劉備(りゅうび)の客将になっていました。

その頃、袁術に書簡を送っています。

 

それを見た袁術、今度は呂布を騙してやろうと、こんな書状を送ります。

 

「お久しぶり~!元気じゃったかの?

前には色々あったが、ワシは呂布殿の恩義を今でも忘れてないぞ。

ワシの一族は董卓のヤツに皆殺しにされたが、ワシは仇を討てなかった

それを呂布殿が恨みを晴らしてくれた、これが第一の恩義じゃ!

また、ワシの配下の金元休(きんげんりん)が兗州の封丘に向かうと、

曹操のチビが、これを撃破して死にそうな目になった。

その時、呂布殿が兗州を陥れてくれたので、ワシは助かった。

これが第二の恩義じゃ!

 

三つ目は、どこの馬の骨とも分らん劉備のアホが勝手に徐州牧となり

ワシと戦う事になったが、呂布殿の威霊で勝利できた。

これが第三の恩義じゃ!

ワシは、あまり聡明ではないが、この3つの恩義に何とか報いたい。

聴けば、呂布殿は兵糧に難儀しているとか、どうであろう?

ワシから米二十万斛をそちらに送ろうではないか?

それで終わりではない、何度でも送ってやろう、兵糧だけではない

武器でも防具でも足りないモノがあれば何でも言ってくれい」

 

呂布はラッキーと大喜びし、よく考えず、劉備に叛いて下邳(かひ)を陥れます。

しかし、いくら待っても米二十万斛どころか、麦のクズさえ送られません。

袁術は劉備を倒す為に、呂布を離反させたいだけだったのです。

呂布は見事に騙されてしまいました。

 

「あ、あの猿ジジィーーーっ!よくも俺様を騙しやがってェーっ」

呂布は、腹いせに劉備と和睦して、袁術に備えます。

 

第3ラウンド 袁術は皇帝に即位し呂布と縁組を求める

 

西暦197年、袁術は皇帝に即位すると同時に、本格的に献帝(けんてい)を擁する

曹操(そうそう)と敵対する事になり、徐州の呂布を引き込もうと縁組を持ちかけます。

呂布も曹操の圧迫を受けている所なので利害が一致し、大事な娘を

袁術の所で遣ろうとしました。

 

曹操と通じていた沛の相の陳珪(ちんけい)は、徐・楊二州が合併すると

手ごわくなると考え、呂布に説いて、曹操に味方させようとします。

ゲンキンな呂布は気が変わり、娘を追いかけさせて奪還し送迎の為に来ていた

袁術の将である韓胤(かんいん)を捕えて曹操に送りました。

曹操は喜んで、これを斬首して見せしめとします。

 

「おのれえええええ!!呂布のクソガキめええっ!

一度、OKと言っておいて騙すのはルール違反じゃろがァァっ!」

袁術はムキイイイイイイ―ッと激怒し、二名の大将軍、張勲(ちょうくん)、

橋蕤(きょうずい)と賊崩れの韓暹(かんせい)、楊奉(ようほう)等、

数万の歩騎を伴い七道から攻めかかります。

 

第4ラウンド、袁術、部将が寝返り致命傷を受ける

 

その時、呂布は数千の歩兵と数百の騎兵しかいませんでした。

そこで陳珪に「お前の言う通りに袁術のバカと切れたら攻められたぞ!

これもお前のせいだ何とかしろ!」と命令します。

 

陳珪は息子の陳登(ちんとう)と結託して、韓暹、楊奉に手紙を送ります。

 

「袁術は皇帝を詐称する賊であり、あんなヤツに与していると禍を受けます

一方で呂将軍は漢王朝から左将軍に任じられているのです。

今がチャンスです、呂将軍に味方して袁術を切りましょう。

恩賞は、袁術が持ってきた物資を全て与える事でどうですか?」

 

元々、韓暹、楊奉は山賊であり袁術も腰掛けに過ぎませんでした。

呂布についた方が得と知ればもう未練はありません。

後詰の二人は、呂布と戦っている張勲、橋蕤に襲い掛かり、

挟み撃ちの形になった袁術軍は壊滅してしまいます。

 

再び、袁術は呂布に一杯喰わされた形になります。

 

第五ラウンド、呂布、再び袁術と結ぼうとするが・・

 

西暦198年、曹操の下に逃げた劉備が小沛に駐屯しているのを、

呂布は高順(こうじゅん)を派遣して撃破しました。

曹操は夏侯惇(かこうとん)を派遣して高順に当たらせますが

高順は夏侯惇も撃破します、すると今度は曹操が出陣してきました。

窮した呂布は、許汜(きょし)、王楷(おうかい)を寿春に派遣して援軍を要請しました。

 

「ふん!何をいまさら、元はと言えば呂布めが、ワシに娘を遣らなかったから

道理として敗れたのだ、当然ではないか!」

 

袁術は腹立ち紛れに二人を罵倒しました。

 

「陛下は呂将軍が破れたのは道理と仰る、しかし、このままでは、

陛下の軍が破れるのも、また道理かと・・」

 

袁術は絶句し、、すぐに兵を整えて援軍を派遣すると答えました。

どうしてか?皇帝を名乗った袁術は呂布以上に曹操に嫌われていたからです。

 

第6ラウンド、袁術は援軍を派遣しなかった・・

 

しかし、待てど暮らせど、袁術の援軍は来ませんでした。

王粲(おうさん)の英雄記によると、呂布は自分が娘を送らないから

援軍が来ないのだと考えて、娘に豪華な錦の着物をかぶせて馬に乗せて縛りつけ、

自分が使者になって援軍を呼ぼうと考えますが、城門を出た途端に曹操軍の

猛烈な矢の一斉射撃に曝されて断念します。

 

結局、袁術の援軍は来ず仕舞いで呂布は曹操に捕まり縊り殺されます。

最期に袁術は呂布を騙したのでしょうか?

 

いいえ、それは違います、本気で援軍を送りたかった袁術ですが、

深刻な食糧不足に襲われた袁術軍は、遠征軍を送るだけの兵糧が無かったのです。

東西嘘合戦は、双方共倒れというショッパイ結末でした。

 

三国志ライターkawausoの独り言

 

徐州を治めた呂布、揚州を治めた袁術、もし、この両者に縁組が成立し

互いに助け合えば、曹操にとっても劉備にも何倍も手ごわい相手でした。

しかし、両者はお互いの為にお互いが必要である事を認識しつつも、

結局、己の利害を優先して、嘘つき合戦を演じ手を結べませんでした。

 

その辺りが両者が一流とは言えない二流群雄である証明であると言えば

そうなのですが、どこか憎めない雰囲気がありますね。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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