司馬炎と劉禅は似た者同士?その理由とは?


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司馬炎(はじめての三国志)

 

蜀の二代目皇帝として君臨した劉禅(りゅうぜん)と晋の初代皇帝・司馬炎(しばえん)。皆様は彼ら二人に共通点があると思いますか。

多分共通点なんてないと思っている方が多いと思います。しかしこの二人には共通点があったのです。

 

自称・皇帝
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二人の皇帝の経歴紹介!!

三国志を統一した司馬炎

 

司馬炎は司馬昭(しばしょう)の跡を継いで、晋王となり魏帝から禅譲(ぜんじょう)を受けて晋王朝を建国します。その後皇帝となった司馬炎は三国時代最後の大国・呉を滅亡させ、中華統一を成し遂げます。だが中華を統一した司馬炎は政治に興味を失くしてしまい、美女を招いて宴会をしたり、遊んだりしながら国を疲弊させ、55歳で生涯を閉じることになります。

 

劉禅と孔明

 

一方、劉禅は劉備の跡を継いで蜀の皇帝として君臨。

 

劉禅に気に入られる黄皓

 

劉禅は諸葛孔明(しょかつこうめい)蒋琬しょうえん)費禕(ひい)と優れた宰相に支えられるも彼らの死後、宦官・黄皓(こうこう)の台頭を許してしまい、政治を腐敗させてしまいます。その後政治を腐敗させてしまった劉禅は鍾会(しょうかい)率いる魏の大軍の攻撃を防ぎきるも、益州内部に侵入した鄧艾(とうがい)軍の攻撃を受けて降伏を決意。こうして劉禅は蜀を滅亡させてしまいます。

 

さて二人の皇帝の経歴をざっくりと紹介しましたが、二人の似ている点とは一体どこなのでしょうか。

 

 

国を疲弊させた二人の皇帝

 

劉禅と司馬炎。

才能の点においては比較するまでもなく、司馬炎の方が断然上です。では二人の皇帝の共通点はいったいどこなのでしょう。

それは国を疲弊させてしまったことです。


蜀の国政を疲弊させた劉禅

費禕

 

劉禅は優秀な宰相である諸葛孔明や蒋琬、費禕が政権のトップに居た頃、彼らに政治のかじ取りをしていた為、国を疲弊させず、安定させていきます。ですが、費禕が亡くなり、劉禅を教育していた董允ら賢臣達が亡くなると劉禅自ら政治のかじ取りをすることになります。

 

黄皓

 

劉禅は今まで政治のかじ取りをしたことが無かったため、どうすればいいかわからず、親しくしていた宦官・黄皓のアドバイスの言いなりになってしまいます。その結果蜀の国政は大いに乱れます。

 

北伐したくてたまらない姜維

 

また蜀の軍権を握っていた姜維(きょうい)は北伐を継続し、国力をみるみる減退させてしまいます。


中華統一後、政治を蔑ろにした晋の皇帝・司馬炎

司馬炎に気に入られる孫秀

 

司馬炎は中華を統一するまでは次々と晋王朝の制度を整える政策を作り出し、国家を安定させるべく努力していました。ですが、司馬炎は呉を討伐して中華を統一に成功すると政治を蔑ろにしていきます。

 

女性に溺れる司馬炎

 

その一例として司馬炎は呉を滅亡させると呉の皇帝・孫晧の宮女5000人をすべて自分の後宮へ迎え入れ、毎夜美女と豪遊。司馬炎の後宮には5000人ものきれいな女性を後宮に入れていたにかかわらず、新たに5000人もの女性を後宮へ入れた事で合計1万人の宮女を抱えることになり、晋王朝にとって大きな負担を抱えることになります。

 

幼い司馬衷

 

他にも司馬炎は優秀な弟・司馬攸(しばゆう
)
がダメ皇太子・司馬衷(しばちゅう)にとって代わって皇帝になるのではないかと心配し、司馬攸をいじめ、孫権(そんけん)にいじめられた陸遜(りくそん)と同じように憤死させてしまいます。

 

更に司馬炎は後漢王朝を混迷に貶めた外戚の台頭を許してしまい、晋王朝の滅亡の一因を作り出してしまいます。このように最初は優秀な皇帝だった司馬炎ですが、劉禅と同じように政治を腐敗させてしまった点が、二人の皇帝の共通点だと言えるでしょう。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は司馬炎と劉禅の共通点を紹介しました。司馬炎は才能にあふれていた皇帝ですが、劉禅も意外に優れた部分を持っていた皇帝でした。その理由を少しお話しして終わりにしたいと思います。劉禅の優れていた部分とは優れた人物へ政権を丸投げして任せた点です。

 

夜の五丈原で悲しそうにしている孔明

 

もし諸葛孔明や蒋琬、費禕が劉禅を廃して新しい皇帝を立てようと考えていたら、政権を握っていた彼らなら簡単にできたでしょう。また彼らが蜀の新しい皇帝になろうとを考えていれば、これも政権を握っていた為、軍部を掌握することで実現可能だったと思います。

 

これらの危険性を孕んでいたにもかかわらず、劉禅が彼らに政権を丸投げして任せていたのは、優れた点でもあると思うのですが、皆様はどのように思いますか。

 

■参考文献 正史三国志蜀書など

 

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