晋の忠臣・賈充と対立していた対呉総司令官との意外な関係性




はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

敵対勢力を殺害する賈南風

 

晋の忠臣、賈充(かじゅう
)
は本人自身は忠臣と言われながらも、その子、孫がやらかした出来事が大きすぎるために、本人の評価にまで関わってくるという中々面白いというか、苦笑いが出てくるというか……な評価がされているように思いますね。

 

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

今回はそんな賈充の話をしつつ、実は賈充とちょっとした関係がある「あの」武将に付いてお話していきましょう。彼らの意外な一面が見えてくるようになると思います。




腹心、賈充

賈逵(かき)

 

賈充は魏の名臣であった賈逵(かき
)
の子ですが、12歳で父を亡くし、その爵位を継ぎました。

 

晋の司馬師は玉座に座る

 

そして成長した賈充は司馬懿(しばい)の子である司馬師(しばし)に仕え、腹心として働いていくことになります。

 

司馬昭と司馬師

 

司馬師の亡くなった後にはその軍を取りまとめ、その後は司馬師の弟、司馬昭(しばしょう)に仕えることとなるのですが……

 

諸葛誕

 

やはり腹心としての仕え方は変わらなかったのか、司馬昭に命じられて諸葛誕(しょかつたん
)
の動向を探り、反乱を起こすように仕向けるなど、暗部、とも言える仕事を行っています。司馬家が政権を握っていく上では、賈充の働きもあったのでしょう。

 

関連記事:賈充の父・賈逵は息子と違い軍事に優れた人物だった!?

関連記事:魏の諸葛誕が反乱に失敗した原因ってなに?

関連記事:蜀は龍を。呉は虎を。魏は狗をで知られる諸葛誕の一族が一番優秀だった!?




曹髦の殺害と母

皇帝の位を降ろされる曹髦

 

そして260年、当時の魏の皇帝であった曹髦(そうぼう
)
が司馬昭を討ち果たそうと兵を挙げます。しかしこれを予測していたのか、賈充は配下の成済(せいせい)に曹髦を殺害させました。

 

曹髦の暗殺許可を出す賈充

 

さすがにこの行動には司馬昭もびっくり、陳泰(ちんたい
)
から賈充を斬って天下に詫びろと言われましたが、司馬昭は賈充を手放したくなかったのか、成済を主犯として彼の三族を皆殺しにして終わりました。

 

馮氏(女性)

 

ここで出てくるのが賈充の母親、彼女は節義を重んじる性格で、皇帝を殺害した成済をいつも不敬として罵っていたそうです。その主犯は自分の息子とは知らずに……このことで賈充の母親は従者たちに陰で笑われていたとされているので、真相は結構知れ渡っていたと思われます。

 

知らぬは母親だけ……そう思うと、滑稽というかもの悲しいというか……何とも言葉にしがたいですね。

 

関連記事:【魏の歴史事件簿】曹魏の4代皇帝曹髦の時代起きた事件をざっくりご紹介!?

関連記事:【戦国時代と三国時代の類似点】権力者に抵抗して戦い抜いた曹髦と織田信孝

 

晋の筆頭功臣

反対する賈充

 

後、司馬昭はこの世を去ります。

 

三国志を統一した司馬炎

 

その後は司馬炎が継ぎ、賈充は司馬炎(しばせん)に仕えることになります。そしていよいよ、禅譲(ぜんじょう
)
によって司馬炎が皇帝となり、晋が建国されました。この際に司馬炎は、賈充を筆頭の功臣として賞しました。今までは日陰での働きも多かった賈充は、ここでやっと日の元でその功績を認められたのです。

 

関連記事:司馬炎の皇位は「譲ってもらったもの」?中国史のフシギな言葉「禅譲」の意味を考える

関連記事:世界の歴史でもあまりない禅譲をわかりやすく紹介

 

その後の一族……

呉南蛮異民族をボコボコにする潘濬(はんしゅん)

 

その後の賈充は北方異民族と戦ったり、呉の戦いでは消極的だったりと色々ありましたが、賈充の勢力は勢いを保っていました。そして66歳でこの世を去ります。

 

しかし賈充一族……というか娘がかなりやらかしてしまうのがここから。

 

賈南風

 

賈充は司馬炎の子である司馬衷に後妻の娘である賈南風(かなんぷう
)
(ここ重要)を嫁がせ、その一方で先妻の娘である賈褒を司馬炎の弟に嫁がせるなどしていました。

 

炎上する城b(モブ)

 

結果から言うと、賈充の子や孫の世代で晋の滅亡を加速させたと言われるの八王の乱により、晋王朝も賈充の一族も大きく滅びの一途を辿るなど、この時の賈充には知る由もなかったでしょう。とは言え、晋の忠臣、功臣の一族の影響で滅びが加速するとは、誰も思ってはいなかったでしょうね。

 

関連記事:賈南風(かなんぷう)とはどんな人?司馬衷の妃となって晋王朝を滅亡の淵に叩き込んだ悪女

関連記事:八王の乱とは?残念すぎる三国志の真の結末であり中国史上最も醜い争い

 

【次のページに続きます】




次のページへ >

1

2>

関連記事

  1. 宦官
  2. 董卓と呂布

    三国志の雑学

    うぐ、どうしても董卓と呂布に勝てない……!

    献帝を手に入れ、猛将呂布を従えた董…

  3. 孔明による出師の表
  4. 法正と張松
  5. 曹操を見捨てない丁氏と卞氏
  6. 三国志ライター よかミカンさん

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。




はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

“はじめての三国志公式LINEアカウント"

“光武帝

“三国志データベース"

“三国志人物事典

鍾会の乱

八王の乱

3冊同時発売




PAGE TOP