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北方謙三『三国志』の趙雲は影が薄い?演義や民間伝承を抜きにした趙雲子龍

2021年5月15日


 

北方謙三 ハードボイルドな趙雲

 

三国志演義・正史を問わず、三国志関連作品の主要登場人物にして、日本の三国志愛好家の間で絶大な人気を誇る武将、それが趙雲(ちょううん)です。

 

北方謙三 三国志を読む桃園三兄弟 劉備、関羽、張飛

 

今回の記事では、北方謙三(きたかたけんぞう)先生の『三国志』(以下、「北方三国志」とします。)に登場する趙雲について解説していきたいと思います。

※ネタバレを含む内容です。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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趙雲の登場と劉備との出会い

男気溢れる趙雲

 

「北方三国志」において趙雲は、最序盤から最終盤まで登場する人物であり、劉備(りゅうび)曹操(そうそう)諸葛亮(しょかつりょう)などを超えて作中で最も多くの巻に登場する人物です。

 

公孫サン(公孫瓚)

 

この項ではまず、趙雲の作中で初めて登場する場面から話を進めていきたいと思います。趙雲が初めて登場するのは、冀州(きしゅう)を巡って公孫瓚(こうそんさん)袁紹(えんしょう)が戦うシーンです。

 

袁紹

 

董卓(とうたく)連合の解散後、袁紹は自らの勢力を拡大するために冀州牧の韓馥(かんふく)から冀州を奪取し、これを良く思わない幽州(ゆうしゅう)の公孫瓚との間に争いが勃発したのです。

 

文醜

 

公孫瓚は果敢に袁紹に立ち向かいますが、猛将文醜(ぶんしゅう)の前に追いつめられ、絶体絶命に陥ります。そこに現れたのが趙雲でした。

 

趙雲子龍

 

趙雲は公孫瓚に助太刀し、獅子奮迅(ししふんじん)の活躍をみせて袁紹軍を食い止めます。そして、かつての学友だった公孫瓚の下に身を寄せていた劉備軍も参戦し、袁紹の大軍を撃退することに成功しました。

 

趙雲と劉備が初めて出会うシーン

 

ここで、趙雲と劉備が初めて出会うことになります。幼いころから山中で修業を積んだ趙雲は公孫瓚に仕官しようとしていましたが、劉備を一目見て心酔し、劉備に仕官しようとします。

 

劉備に褒められる趙雲

 

旗揚げ間もない時期の弱小勢力だった劉備は、武勇に長ける趙雲を配下に欲しいと思いますが、若い趙雲が人生経験を十分に積んでいないことを考え、「一年間各地を廻って群雄たちを見て回り、それでも仕官したければ仕官せよ」とあえて趙雲を突き放します。こうして、趙雲は一年間の旅に出ることとなり、しばらくの間、物語からは離れることになります。

 

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趙雲の復帰とその後

五虎大将軍の趙雲

 

旅に出てから一年後、趙雲は劉備の下に戻ってきます。一年間、各地の群雄たちを見て回った趙雲が主として選んだのは、やはり劉備だったのです。

 

曹操軍の輸送車を襲う趙雲

 

当時の劉備は各地を流浪する弱小勢力ではなく、一端の勢力を築いており、徐州(じょしゅう)を拠点に呂布(りょふ)袁術(えんじゅつ)と戦っていました。劉備軍の武力は趙雲の加入により強化され、趙雲は張飛(ちょうひ)と共に騎馬隊の指揮を任されることになります。

 

劉備の下で働くと決めた趙雲

 

このように「北方三国志」では、趙雲の特徴として、騎馬隊の扱いに長けているところが強調されています。張飛と趙雲という二人の猛将が、劉備軍の騎馬隊を率い、劉備軍の攻撃の要となっていたのです。

 

北方謙三 ハードボイルドな関羽

 

これ以降も当然、趙雲は劉備の家臣として物語の中でしばしば登場しますが、残念ながら同じ劉備配下の関羽(かんう)・張飛・諸葛亮・馬超(ばちょう)などに押され、影は薄くなってしまいます。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)

 

これは、正史では関羽・張飛などと比べて趙雲に関する記述がかなり少なく、趙雲に関するエピソードの多くは演義や民間伝承によるものであることから、概ね正史に準拠した作品である「北方三国志」では、趙雲を主要な登場人物の位置に持ってくることが難しかったからではないか、と思われます。

 

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諸葛亮との友情と趙雲の最期

亡くなる張飛将軍

 

物語が終盤に入ると、劉備・曹操・関羽・張飛といった主人公級の登場人物たちが相次いで亡くなり、物語から退場していきます。そんな中でも生き残った趙雲は、諸葛亮と共に、「北方三国志」終盤の蜀における主要な登場人物の一人になります。

 

魏延

 

物語終盤において、趙雲は年老いながらも、魏延(ぎえん)と共に諸葛亮率いる北伐軍の中心的武将として、劉備死後の蜀を諸葛亮と共に支えていく存在となります。

 

北方謙三 ハードボイルドな孔明

 

丞相(じょしょう)として蜀を一手に支える諸葛亮にとって、趙雲は数少ない戦友であり、胸の内を語り合える仲間だったのです。特に、蜀の人々が諸葛亮を「丞相」と敬称で呼ぶ中、趙雲のみが「孔明(こうめい)」と字で呼ぶ仲として描かれているのが印象的です。

 

寿命を全うした70歳の趙雲

 

しかし、猛将趙雲もついには病に倒れ、最期の時を迎えます。諸葛亮や魏延、姜維(きょうい)といった蜀の諸将が悲しむ中、趙雲は「名もなき老兵が、ひとり死んで行く。」と言い残し、安らかに眠りにつきました。その様子は、まるで蜀という一つの王朝そのものの黄昏を予感させるものでした。

 

趙雲

 

三国志ライター Alst49の独り言

Alst49さん 三国志ライター

 

いかがだったでしょうか。三国志作品の中でも、趙雲は特に人気がある武将なのですが、残念ながら「北方三国志」での趙雲は他の作品と比べて影が薄くなってしまっているところが否めない印象を受けます。

 

京劇コスチューム趙雲

 

しかし、それでも物語の序盤から終盤まで戦い抜いた名将として、いぶし銀の活躍を見て取ることができます。特に、趙雲の最期のシーンは特に印象的で、序盤からずっと登場し続けてきた趙雲の死は「北方三国志」という物語の終わりを暗示する場面で、とても味わい深いものとなっています。

 

お互いに歌を交わす趙雲と劉備

 

趙雲のファンという読者にとっては少々物足りないかもしれませんが、影が薄くとも物語全体を見渡せば、趙雲という人物は「北方三国志」になくてはならない人物と言えるのではないでしょうか。

 

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北方謙三三国志

 

 

 

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Alst49

大学院で西洋古代史を研究しています。中学1年生で横山光輝『三国志』と塩野七生『ローマ人の物語』に出会ったことが歴史研究の道に進むきっかけとなりました。専門とする地域は洋の東西で異なりますが、古代史のロマンに取りつかれた一人です。 好きな歴史人物: アウグストゥス、張遼 何か一言: ライターとしてまだ駆け出しですが、どうぞ宜しくお願い致します。

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