名は体を表すなんて言いますが、人間は自分の名前に影響されるもののようです。それは三国志の登場人物でも同じで、諱の意味を調べてみると、その後の運命や性格まで予言されたような諱も多いのです。
今回は、三国志メジャー武将10人の諱に込められた意味を探ってみましょう。
この記事の目次
司馬懿の「懿」の意味とは?
三国志の勝者でもある司馬懿の諱は懿です。こちらは、麗しいや良い、立派という意味があり、懿親と書くと仲睦まじい家族という意味にもなります。
司馬懿の兄弟は皆優秀で、司馬氏も歴代高官を出す家なので司馬懿にはより家を大きく立派にしてほしいという願いが込められたと考えられます。その願いは叶い司馬懿の孫は晋王朝を興し、司馬氏は国姓になりました。
司馬懿は九男二女に恵まれますが、生前は子供達と骨肉の争いを繰り広げる事もなく、兄弟同士で反目する事もありませんでした。だからこそ、晋は魏を速やかに倒す事が出来たのでしょう。
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劉備の「備」の意味とは?
三国志主人公の1人劉備の諱は備です。備の意味を調べてみると、あらかじめ備える、備え、必要なモノが備わるとあります。劉備の前半生を考えると、必要なモノが備わるどころか不備だらけで各地の群雄の世話になり、明日をも知れない運命で、名は体を表していない感じです。
しかし、よく考えてみると不確かな漢王室の末裔という看板を背負い、人間的魅力だけで、関羽、張飛、趙雲、諸葛孔明や龐統など、名だたる武将や知将を集めたのは劉備という人間に、最初から必要なモノが備わっていたとも考える事が出来ます。
苦労した劉備ですが、艱難辛苦に磨かれ高い人間的魅力を獲得し、長い戦場の経験が後に蜀を取らせたと考えると、あながち間違ってもいませんね。
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孫権の「権」の意味とは
呉の大黒柱孫権。孫堅、孫策と繋がれたバトンは3代目の孫権で結実。以後半世紀にわたり、孫権は孫呉を支配して三国の一角に育て上げました。
そんな孫権の諱の権は、支配する力、謀略、臨時の間に合わせ等があります。支配する力は、江南の豪族の力を抑えて呉をまとめた孫権にピッタリの意味ですし、その力が晩年には暴走して二宮の変を招いた辺りは笑えません。
また、魏と蜀の間を飛び回り、魏と結んで関羽を滅ぼすなど謀略の部分も持ち合わせています。最後は臨時の間に合わせですが、兄の孫策が死んだ時孫権は19歳の成人前。かなり慌ただしく張昭の後見を得て家督を継いだことが想起されます。
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周瑜の「瑜」の意味とは?
赤壁の戦いで曹操軍を完膚なきまでに叩いた偉大な将軍が周瑜です。そんな周瑜の諱、瑜は美しい玉を意味し美周郎と呼ばれたハンサムな周瑜にピッタリです。
また、サンスクリット語の転写、「瑜伽」の原義は結びつける、結びつくという意味があり、周瑜が魯粛と交流を結び、また孫策死後、孫権にも仕えて結びつく事で孫呉の覇業の成就をより確実にしたという捉え方も出来ます。
周瑜が孫策と結びつき、同時にクレイジーボーイ魯粛と結びつかなければ、赤壁の戦いで降伏派が勝利した可能性は極めて高く、その意味で周瑜の瑜は、大きな意味を持っていると言えるでしょう。
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曹操の「操」の意味とは?
曹操は治世の能臣、乱世の奸雄と呼ばれ、一代で中国の2/3を手中に収める程の覇業を為した人物です。戦争に強いだけでなく、詩文にも優れ3世紀を代表する文化人の1人でもありました。
そんな曹操の諱、操の意味は世俗を超越し人柄や行いが上品で雅やかであるです。曹操の行いや人柄が全て上品で雅やかだったとは断言できませんが、世俗を超越した人物であるというのは間違いないでしょう。
ほかにも操には、巧みに操作する、上手く取り扱うという意味もあります。
これは、そのものズバリで曹操は献帝を保護して後漢の権威を巧みに操り、広く人材を適材適所に配置して手足の如く操りました。
曹操は自分の力に限界がある事を理解し、積極的に有為の人材を登用して、天下統一の駒にして操れたから、あれだけの領土を手に出来たと言えますね。
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