郭嘉が生きていれば赤壁の敗北は無かった?曹操に信頼された乱世の穎才とは?

2021年11月22日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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曹操と郭嘉

 

曹操(そうそう)のブレーンとして信頼厚かった「郭嘉(かくか)」は「赤壁(せきへき)の戦い」の前年に亡くなりました。

 

郭嘉が亡くなり悲しむ曹操

 

曹操は赤壁の戦いに敗れた後、「郭奉孝(かくほうこう)(奉孝は字)が生きていればこんな敗北は無かっただろうに。」と嘆いたといいます。曹操にそこまで言わせた郭嘉とはどんな人物だったのでしょうか?

 

 

袁紹に失望し、曹操に仕官する

郭嘉

 

郭嘉は若いころから先を見通す能力に優れていたといい、各地の実力者と交友を結んでいました。始めは同郷の辛評(しんぴょう)、親戚と思われる郭図(かくと)が仕えていた袁紹(えんしょう)に仕官しようと考えていました。しかし、袁紹の人物に失望し、辛評と郭図に警告したのちに曹操と会見することにしたのです。

 

郭嘉を推薦する荀彧

 

これは曹操の参謀の「荀彧(じゅんいく)」の推薦だったといいます。

 

郭嘉と曹操は意気投合

 

この会見で曹操と郭嘉は天下について語り合うにつれて意気投合、曹操は「この男が私の大願を成就させてくれるだろう。」郭嘉も笑顔になり「やっとわが主君に巡り合えた。」と喜んだといいます。

 

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曹操孟徳

 

 

 

呂布との戦いに終止符を打つ

呂布にとどめを刺すよう曹操に献策する郭嘉

 

郭嘉が曹操に仕えたころ、曹操は呂布(りょふ)と長年にわたり激戦を繰り広げていました。なんとか曹操は「下邳城(かひじょう)」に呂布を追い詰めますが、兵の消耗が激しく、曹操は撤退も検討しました。しかし、郭嘉は荀攸と共に城攻めの継続を進言し、ついに曹操は呂布を生け捕り、宿敵を殺すことに成功しました。

 

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呂布

 

 

次なる敵、袁紹を倒すために

郭嘉

 

郭嘉は曹操と初めて会見した際に、袁紹と曹操を比べ10の項目で曹操が勝り、10の項目で袁紹が劣っているという意見を披露しました。その10の項目とは「道・義・治・度・謀・徳・仁・明・文・武」のそれぞれで曹操が勝っている、という意見でした。

 

袁紹に追い詰められる曹操

 

曹操は呂布を破った後は次なる宿敵、袁紹と対峙することになります。袁紹と曹操の決戦は「官渡(かんと)の戦い」でしたが、そこにも郭嘉は従軍しています。そこで曹操陣営では背後を孫策(そんさく)に突かれることを恐れていました。

 

孫策が早死すると予見する郭嘉

 

しかし、郭嘉は「孫策は多くの人から恨みを買っており、無事ではいられないでしょう。」と予言し、実際孫策は暗殺されていました。郭嘉は広い情報網を持っていたことを示すエピソードですね。そして官渡の戦いで曹操は袁紹を破り、勢力を更に伸ばします。

 

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官渡の戦い特集

 

 

袁家にとどめを刺す!

曹操と袁譚

 

袁紹が失意のうちに亡くなった後、袁紹の息子たち「袁譚(えんたん)」「袁尚(えんしょう)」と曹操は戦い、緒戦は勝つことに成功します。群臣は、これに乗じて一気に袁家と決戦に向かおうと提案します。しかし、郭嘉はそれに反対。一気に決戦に臨めば、袁家が団結してしまい、攻略が困難になる。

 

袁尚と対立する袁譚

 

しかし、時間がたてば、袁譚と袁尚の間に争いが生じ、そこに乗じて簡単に攻め滅ぼせる、と郭嘉は予想したのです。

 

曹操から逃れる袁尚

 

この予想通り、袁家をひとまずおいて置いて曹操が南下の構えを見せると、袁譚、袁尚は争いを繰り広げ、まずは袁譚は滅びます。残った袁尚は曹操に追われ、異民族の地、「鳥丸(うがん)」に逃げ込みます。

 

公孫恭に討たれる袁尚

 

追撃すると、劉備(りゅうび)や劉表(りゅうひょう)に背後を突かれる可能性がありましたが、郭嘉は劉表の優柔不断を読んでおり、遠征を進言します。事実、劉表は動かず、曹操は袁家を滅亡させることに成功したのです。

 

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英雄の死因

若くして亡くなり、曹操は大いに悲しむ

曹操

 

袁家を滅ぼすと、中国北部はほぼ曹操の手中に入り、いよいよ荊州(けいしゅう)の攻略に曹操は乗り出します。

 

病死した郭嘉

 

しかし、その直前、郭嘉は鳥丸からの遠征から帰ったのちに病で急死してしまいます。

 

郭嘉が亡くなり悲しむ曹操

 

曹操は大いに悲しみ、他の武将たちに向かって「諸君は皆、私と同世代だが、郭嘉はとびぬけて若かった。天下を統一した際には後事を託すつもりだったのに、これも天命なのか。」と語ったといいます。

 

郭嘉

 

当時曹操は53歳で、側近の荀彧は45歳、荀攸(じゅんゆう)も51歳で、38歳で亡くなった郭嘉はかなり若かったのです。

 

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英雄の墓

 

 

 

曹操、赤壁で大敗してしまい、郭嘉を惜しむ

曹操に立ち向かう劉備と孫権

 

郭嘉の死後、曹操は荊州攻略に乗り出し、孫権(そんけん)、劉備の連合軍と戦う事になります。大軍をもって戦いに臨みましたが、疫病などに苦しめられ、結果的に大敗し、曹操の天下統一は遠のきます。

 

赤壁の戦いで敗北する曹操

 

敗戦後、曹操は「郭奉孝が生きていれば、こんなことにはならなかったかもしれないな。」と嘆いたといいます。

 

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赤壁の戦い

 

 

 

陳羣による郭嘉の人物像

陳羣

 

怖いほど先の読める切れる男郭嘉ですが、どんな人物だったのでしょうか。正史「三国志」によると「模範的行動に欠く」ところが多々あり、度々高潔な人柄で有名だった「陳羣(ちんぐん)」に弾劾されています。

 

郭嘉の素行が悪いとキレる陳羣

 

また、三国志の著者「陳寿(ちんじゅ)」の評でも「とても優秀だが“徳”が無かった」と評されています。郭嘉の息子「郭奕(かくえき)」は「嫌いな人は草を見るように徹底的に軽く扱う」人物だったらしく、郭嘉もそんな感じの人物だったのかもしれません。

 

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郭嘉特集

 

 

三国志ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

郭嘉はとても優秀な軍師で、初期の曹操を支えていました。もし郭嘉が長生きしていれば、あっという間に孫権も劉備も滅ぼされてしまったかもしれませんね。そう考えると、彼が生きていれば「三国志」は無かった、と言えるかもしれません。

 

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『伝説の企画 朝まで三国志 最強の軍師は誰だ』

朝まで三国志2

 

 

 

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みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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