関羽千里行とは?五つの関を強行突破した関羽の逸話

2022年2月2日


 

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関羽千里行

 

関羽千里行(かんうせんりこう)」は小説「三国志演義」において関羽の最大の見せ場で、数多くのメディアで取り上げられている題材です。これは関羽の「武勇」と「義理と人情」を象徴するエピソードであり、今でも人々を魅了しています。

 

赤兎馬を乗り回す関羽

 

今回の記事ではそんな「関羽千里行」とは何なのか、紹介します。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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史実での関羽、曹操に降伏するも後に劉備の下へ戻る

張飛、劉備、関羽の桃園三兄弟

 

関羽は劉備(りゅうび)張飛(ちょうひ)と義兄弟の契りを結び、各地を転戦していました。しかし、劉備は曹操(そうそう)と戦い敗れ、袁紹(えんしょう)の下に身を寄せます。

 

関羽と趙雲を捨てて荊州に逃げる劉備

 

この時関羽は城の守備を任されていましたが、劉備に下に逃げることはかなわず、曹操に降伏することになります。

 

顔良を討ち取る関羽

 

その後関羽は袁紹との戦いで戦功を上げますが、関羽はもともと曹操への恩返しがすんだら劉備の下に戻るつもりでした。曹操はそれを察し、劉備の下に行こうとする関羽を追いかけることが無いように部下に告げたのでした。

 

関羽が大好きすぎる曹操

 

曹操は関羽の「義」にとても関心していたのです。これが正史「三国志」における関羽の曹操との別れですが、小説「三国志演義」ではこれを大きくアレンジし、盛り上げています。

 

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関帝廟

 

 

 



関羽千里行、始まる

劉備とはぐれて心配する関羽

 

以下は小説「三国志演義」のエピソードになります。関羽は劉備の夫人ら家族と曹操に降伏していました。関羽は劉備が生きていることを知り、家族と共に劉備の下に行くことを決意します。曹操はそれを知り、関所には「関羽を通すように」と伝えていましたが、連絡は遅れていました。その為関羽は曹操の領内を強行突破していくことになります。

 

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関羽

 

 

第一の関、東嶺関

五関六将破りを行う関羽

 

始めに関羽一行が訪れたのは東嶺関(とうれいかん)です。ここを守るのは「孔秀(こうしゅう)」という架空の人物で、彼は関羽に「通す許可は無いが、家族を人質としておいていくなら通っても良い」といい、これを知った関羽は怒り、孔秀を切り捨て関所を突破します。

 

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赤兎馬はカバ

 

 

第二の関、洛陽

暴れる関羽

 

洛陽を守るのは「韓福(かんふく)」。彼も架空の人物で、関羽を討つために配下の「孟坦(もうたん)」(架空の人)と一計を案じます。それは孟坦が関羽と一騎打ちをしてわざと逃げ、追いかけてきた関羽を矢で射る、というものでした。

 

しかし、一騎打ちをすること自体は出来ましたが、孟坦は逃げる途中で追いつかれ斬られてしまい、韓福も矢を放ちますが、関羽の肘に当たっただけで結局、韓福も斬られます。

 

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馬が動かした中国史

 

 

第三の関、沂水関

関羽千里行 ゆるキャラ

 

この関を守るのは「卞喜(べんき)」。もちろん架空の人物で、黄巾族の生き残りで「流星錘(りゅうせいすい)」と呼ばれる武器の使い手です。この武器は長い縄や鎖の先に金属製の錘(おもりの事)が付けられており、それを相手にぶつけることにより攻撃するものです。

 

卞喜は途中の寺に兵を隠し、関羽を奇襲する計画を建てますが、寺の僧侶に密告され作戦は失敗、卞喜の流星錘も関羽に通じず、斬られます。

 

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呂布

 

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みうらひろし

みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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