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赤兎馬はとんでもない長生きだった!?

2022年3月9日


 

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赤兎馬のモデルとなった汗血馬

 

三国志」に登場する伝説の馬・赤兎馬(せきとば)

 

赤兎馬と呂布

 

董卓(とうたく)呂布(りょふ)関羽(かんう)の愛馬となったこの馬ですが、よく考えてみると呂布が董卓の下についてから、関羽が敗死するまで30年以上あります。

 

赤兎馬にまたがる呂布

 

この間ずっと赤兎馬が戦場を駆けまわっていたとすれば、赤兎馬はとんでもない長生きの馬ということになります。そこで、今回の記事では赤兎馬が本当に長生きだったのか、その真相について考えてみたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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赤兎馬とは?

関羽に見惚れる赤兎馬

 

赤兎馬とは「正史三国志」「三国志演義」に登場する名馬中の名馬です。「正史三国志」では、赤兎馬に関する記述は登場するものの一言で片づけられてしまっているので、ここでは「三国志演義」での赤兎馬について、赤兎馬が関わるエピソードを見ていきたいと思います。

 

赤兎馬

 

「三国志演義」によれば、赤兎馬は「一日に千里を走る」という並外れた駿馬であり、元々は董卓が所有していました。しかし、董卓は丁原のもとにいた呂布をヘッドハンティングするべく、赤兎馬を呂布に贈って気を引きます。

 

赤兎馬を可愛がる董卓

 

赤兎馬を気に入った呂布は養父の丁原(ていげん)を殺して董卓の家臣となりました。

 

曹操から赤兎馬をプレゼントされる関羽

 

その後、呂布を曹操が滅ぼすと赤兎馬は曹操(そうそう)の手に渡ります。曹操は、劉備(りゅうび)を破った時に降した関羽の忠誠を得ようと、関羽に赤兎馬を贈りますが、関羽の劉備への忠誠心は固く、赤兎馬をもってしても関羽の忠誠を勝ち取ることはできませんでした。

 

関羽の死後 ショックで食を断って亡くなった赤兎馬

 

関羽が呉の呂蒙(りょもう)に敗れて敗死した後、赤兎馬も食を断ち、自ら亡くなったと言われています。

 

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呂蒙

 

 

 

赤兎馬の年齢

三国志演義_書類

 

「三国志演義」の記述を見る限り、赤兎馬は少なくとも呂布が董卓のもとに帰順した189年(中平(ちゅうへい)6年)以前に生れており、関羽が敗死した219年(建安(けんあん)24年)頃まで活躍していることになります。

 

世界史の馬 マレンゴ(赤兎馬シリーズ)

 

しかし、1頭の馬が30年以上にわたって戦場で活躍したというのは、どうにも信じがたいことです。というのも、例えばサラブレッドの平均寿命は20〜30年ほどであり、赤兎馬が30年以上も活躍したとするならば、人間で換算して80代・90代に至るまで戦場を駆けまわっていたことになります。こうしてみると、どうにも赤兎馬がそこまで長生きした可能性はなくはないにしても、にわかには信じられないのではないでしょうか。

 

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馬が動かした中国史

 

 

「正史三国志」に見る赤兎馬のエピソード

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)書類

 

「三国志演義」は「正史三国志」をもとにした物語であり、様々な点で著者の脚色がなされています。この赤兎馬のエピソードも同様に、「三国志演義」特有の脚色が入っているのではないでしょうか。それを確かめるためには、「正史三国志」の赤兎馬についてみなければなりません。

 

張燕をボコボコにする呂布

 

「正史三国志」における赤兎馬の登場シーンはあっさりしており、呂布伝の中に、呂布が「赤兎」なる馬に乗り、袁紹(えんしょう)に助太刀して張燕(ちょうえん)を破った際、「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と讃えられたという記述があります。

 

正史三国志_書類

 

また、呂布の乗馬が「赤兎」という名であったことは、『後漢書』呂布伝にも記載があります。つまり、呂布が「赤兎」なる馬に載っていたことは史実だと考えられます。

 

赤兎馬を乗り回す関羽

 

一方、関羽が赤兎馬に乗っていたという記述は「正史三国志」には登場しません。確かに、関羽が曹操に降伏した際、曹操は関羽に多額の贈り物をして歓心を買おうとした記述はありますが、そこに赤兎馬は登場しませんでした。こうしてみると、関羽が赤兎馬に乗っていたというのは「三国志演義」による脚色という線が濃厚ではないでしょうか。

 

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関羽

 

 

実際の赤兎馬の生涯

赤兎馬が大好きな呂布

 

以上をまとめると、呂布の愛馬としての赤兎馬は史実においても存在したと考えられる一方、関羽が赤兎馬に乗っていたという描写は「正史三国志」には登場せず、「三国志演義」にしか現れません。

 

赤兎馬に乗った関羽に出会う周倉

 

従って実際には、赤兎馬は関羽のものとなっておらず、「三国志演義」に見られるような、30年以上にわたって戦場を駆けまわったという一見超常的な活躍も、史実ではなかったと結論付けられます。

 

赤兎馬と呂布

 

実際に赤兎馬が活躍したのは、史実を見るかぎり、せいぜい呂布が赤兎馬を董卓から贈られた189年(中平6年)から、呂布が滅んだ199年(建安3年)の10年ほどだったのではないでしょうか。これであれば、馬の寿命とも矛盾することはありません。

 

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呂布対項羽

 

 

三国志ライター Alst49の独り言

Alst49さん 三国志ライター

 

いかがだったでしょうか。赤兎馬という存在は、「正史三国志」「三国志演義」の双方に登場しますが、「関羽の愛馬となった」という点は後者の脚色だったことが明らかとなりました。

 

セクシーすぎる塩商人だった関羽

 

関羽という武将は、「三国志演義」の主人公格の一人であり、信義を重んじる理想的な人物として描かれています。関羽がいかなる金銀財宝を送られても動じず、曹操から赤兎馬を手に入れてはじめて、「これで主の劉備のもとへとすぐに帰れる」と喜ぶシーンは、まさに「義の人」である関羽の姿をこのうえなく鮮やかに描き出しています。

 

三国志演義の作家 羅貫中

 

これは筆者の考えですが、「三国志演義」の著者である羅貫中は、赤兎馬のくだりをあえて脚色することで、「義の人」である関羽の劉備への忠誠心をより劇的に描き出そうとしたのではないでしょうか?

 

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Alst49

大学院で西洋古代史を研究しています。中学1年生で横山光輝『三国志』と塩野七生『ローマ人の物語』に出会ったことが歴史研究の道に進むきっかけとなりました。専門とする地域は洋の東西で異なりますが、古代史のロマンに取りつかれた一人です。 好きな歴史人物: アウグストゥス、張遼 何か一言: ライターとしてまだ駆け出しですが、どうぞ宜しくお願い致します。

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