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文字を十文字しか知らない蜀の王平
そう、蜀のとある意味で有名な武将、王平です。王平は色々と有名なエピソードがありますが、その中でも驚きのエピソードがあります。そう、王平本人はなんと文字を「十文字」しか書くことができなかったのです。
しかしこの王平は漢中の守備を任され、魏軍10万の大軍を撃退するなど活躍、かの有名な馬謖が「山に登ろう(超意訳)」と言った時にも諫めたとされ人物。そんな王平ですが、部下に口述で文章や手紙を書かせて、筋が通っていて問題はなかったと陳寿にも記されています。
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丁奉の事務処理能力については不明点が多い
王平は文字が十文字しか書けなくても「問題なかった」とされているのに、丁奉は「事務能力に欠ける」と言われて、しかもアフターフォローエピソードがないのは謎な所です。もし面白いエピソードがこの後に続けば、丁奉ももっと注目されたかもしれませんね。
しかし元々は甘寧や潘璋に仕えていて、晩年は驕った、と言われているので、若い頃は呉の武将たちの例にもれず、ちょっとばかりやんちゃ坊主だったのかもしれません。そういった環境ではあまり事務能力が磨かれず、老年ということもあって張布がそういったのかもしれない……想像ばかりですが、丁奉将軍についての想像でした。
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三国志ライター センのひとりごと
もう一つ言えるのは、陳寿自体が蜀の人物だったために「王平は問題なかった」という話ができたことです。しかし丁奉は呉の武将ですから、当時の武将たちが丁奉の事務能力についてどうだったのかは記録になければわからないでしょう。そういう意味で王平にはフォローができたのに、丁奉にはその後は特にエピソードが無かったのは寂しいポイントです。
もし今後、何らかの発見で丁奉にも面白いエピソードが出てきたら……そんなことを考えて、今日も深みにハマっていく筆者でした。
ちゃぽん。
参考文献:呉書丁奉伝 三嗣主伝
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