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劉備と諸葛瑾!実力が伴わない人材を見抜く2人の共通点は苦労した事だった

2022年6月25日


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馬謖に重要な仕事を任せるなと孔明に伝えて臨終を迎える劉備

 

諸葛亮(しょかつりょう)がその生涯を賭けた主君、劉備(りゅうび)。そんな諸葛亮の兄が諸葛瑾(しょかつきん)。このお二人が、それぞれある人物にそれぞれある評価を行いました。

 

諸葛瑾

 

それが見比べてみるとどうにも似通っている……ふしぎ!これこそが今回のテーマであり、全て。作者の想像過多な内容でもありますが、よろしければそんな考察にお付き合い下されば幸いです。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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街亭で失敗した馬謖

山頂に陣を敷いた馬謖

 

さてまずご紹介するのが……三国志に置ける、皆大好き「登山家」と言えば伝わるでしょうか?そう、馬謖(ばしょく)さんですね。彼は馬家の末っ子として生まれ育ち、大変才能あふれるお方でした。その才能を諸葛亮は高く評価していました。

 

そして始まったのは北伐のお時間。諸葛亮は馬謖に要所も要所であった街亭(がいてい)の守備を任せ、この際に「街道を封鎖するように」と言ったにも拘らず、なぜか突然馬謖は山に登り、最終的にこれ以上ないほどの敗北をしてしまいます。

 

馬謖の山登りに反対する王平

 

その後、馬謖はこの敗北の責任を取らされ、処刑された一件から「泣いて馬謖を斬る」という言葉が生まれたのでした。

 

関連記事:泣いて斬ってる場合じゃない!全盛期の孔明ならやっていた筈の「正しい馬謖の使い方」

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百戦練磨の張郃に勝てなかったウッカリ馬謖

北方謙三風ハードボイルドな馬謖

 

なお、馬謖の処罰に関しては、山に登ったことではなく、記録を見ると「敗北した一件で処罰されるのを恐れて逃亡した」ことが決め手になったと言われています。とは言え、この敗北の一件は蜀にとって大きな打撃となったので、処罰自体は逃げられるものではなかったでしょう。

 

馬謖の失敗に嘆く孔明

 

しかしこの時に馬謖が街亭の戦いで対峙した相手は魏におけるたくさんいる名将の中でもキラリと輝きを放つ、歴戦の猛者の一人である(ちょう)コウ。

 

馬謖の陣形に笑う張コウ

 

馬謖の才能はあれど水源確保を怠るような少し(だいぶ)おっちょこちょいな人と、張コウの入念に入念さを要れるような人物がぶつかれば敗北は必至だったのでは……と思わずにはいられない筆者です。

 

でもたぶん街道押さえていたら張コウの性格から言って真正面からぶち当たってはこなかっただろうなぁ。

 

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劉備は口先だけの馬謖を評価しなかった

馬謖を信用していない劉備

 

前述したように、馬謖は諸葛亮に高く評価されていました。ですがそんな馬謖に、厳しい評価をした人物がいます。それこそが劉備です。「馬謖は口先だけの男だ。だから重要なことを任せてはいけない」

 

馬謖に地理を伝える諸葛亮孔明

 

劉備は生前、諸葛亮に再三この忠告を行っていたとされ、しかし諸葛亮は北伐の一件を馬謖に任せてしまったのです。しかも劉備が生前、魏将で最も恐れたと言われる張コウ相手に……何とも運命の面白さを感じますね。

 

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孫権に気に入られた諸葛恪

宴が生き甲斐 孫権

 

ここで呉王様の溢れんばかりなアルコールハラスメントエピソードをご紹介しましょう。

 

ある日の酒宴の一幕、酒に酔った孫権(そんけん)はロバを連れてくるとその顔に「諸葛子喩(しょかつしゆ)」と書きました。これは諸葛瑾が面長、つまりロバのような顔立ちだったことをからかってのことです。そこで立ち上がったのが諸葛瑾の息子、諸葛恪(しょかつかく)

 

諸葛恪の栄光と破滅02 諸葛恪、孫権

 

「文字を書き足すことをお許し下さい」孫権に許された諸葛恪は、諸葛子喩の下に「之驢馬」と書き足しました。諸葛子喩の驢馬……となり、父の名誉を守った諸葛恪の思いと賢さを孫権は高く評価し、諸葛恪を良く引き立てるようになりました。

 

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才能はあるが自惚れと傲慢が強かった諸葛恪

陸遜

 

この諸葛恪のエピソードは良く知られるようになり、「藍田生玉(らんでんしょうぎょく)」という、良い家からは良い子供が生まれる、という言葉が生まれたのですが……話はここで終わりません。諸葛恪は確かに才気煥発、賢い人物でした。

 

孫登

 

しかし彼は相手が孫登(そんとう)、つまり皇太子であっても言い返す、その性格は成長しても変わらなかったようで、陸遜(りくそん)からも「その性格をどうにかしろ」と言われる様。

 

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新解釈・三國志

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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