三国志の「魏・呉・蜀」、それぞれの代表的な主君は、曹操・孫権・劉備となります。この三人の中で、実は孫権はかなり年下。ほぼ一世代ぶん、曹操や劉備よりも若いのです。
黄巾賊討伐や、反董卓連合軍の時、若い頃の曹操や劉備と比肩した活躍をしていたのは、孫権の父である孫堅という人物でした。
残念ながら、彼は反董卓戦線が崩壊した後の群雄割拠期に、劉表との戦争で戦死を遂げてしまいます。享年37歳と、本来なら、まだまだ活躍できたはずの年齢でした。
史実では、この父の死を受けて急遽家督を継いだ孫策が、圧倒的な勢いで江南の地を平定し、さらにその孫策の病死を受けて年少にして家督を継いだ孫権が、兄が平定した土地を守り抜く堅実な経営で、呉の国を立ち上げることになります。
ですがここで、あえてこう考えてみましょう。 呉の発展の基礎を作ったと言うべき孫堅が、そもそも戦死せずに頑張っていたら、三国志の世界はどう変わっていたでしょうか?
この記事の目次
孫堅ならば間違いなく曹操や劉備のライバルを張れた筈だが
孫堅が戦死をせず、健康なまま、むしろ長生きをしていたら?
本来なら孫策が、父の急死という大混乱からの「巻き返し」で群雄割拠時代に追いついてくるところですが、孫堅が健在ならば、まず曹操と劉備とキャリア的には同じラインから、「呉」はスタートできます。むしろ曹操や劉備よりも初期条件としては安定しているかもしれません。
というのも、『正史三国志』に依ると、孫堅の死亡直前の「手持ちカード」は以下の通り。
- 安定感のあるリーダーとして、江南で絶大な人気と信頼を得ていた
- 既に程普、黄蓋、韓当という勇将を抱えて、戦場での名望も知れ渡っていた
- (『三国志演義』では関羽の手柄にされていますが正史では)実は董卓軍の華雄を討ち取ったのは孫堅の手柄である
- 曹操、劉備と面識があるので同盟し共闘することも可能
やりようによっては、むしろ曹操よりも先に天下に王手をかける可能性もありそうな好条件です。少なくとも、曹操や劉備のライバルとして、拮抗した駆け引きを見せてくれる存在になったのではないでしょうか?
そしてもうひとつ、彼には手持ちカードがあります。
- 優秀な二人の息子、孫策と孫権を、跡継ぎというよりは戦力として投入できる
ということです。ただし、私の考えるところ、実はこれについては、好条件とも限らないかもしれません。このカードが裏目に出て「うまくいかなくなる」可能性もあります。どういうことか?先に「うまくいく場合」を説明してから、「うまくいかない」懸念をお話しましょう。
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楽観シナリオ:孫策と孫権が強力に機能する
うまくいく場合の想像は、こうです。孫堅が親玉としてドンと構えている中、孫策と孫権が、それぞれ血縁将軍として領土拡張作戦に投入される。正史における、兄弟それぞれの特性から、孫策が軍事を担当し、孫権が内政を担当するのがよいでしょう。
すなわち、孫策が軍事で敵を撃退し、敵地を占領。その占領地の内政を、孫権が入り、安定の戦後復興を施して民心を得る。この役割分担をすれば最強ではないでしょうか。
劉表などは早々に平定され、袁術もこの兄弟によって始末され、さらに、孫策が若死にさえしなければ、そのまま劉璋のところまで脅かす遠征ができたでしょう。これが、うまくいった場合のパターン。孫策と孫権は、「伝説的な名兄弟」として、もしかすると三国志の主人公にまでなってしまう勢いを得たでしょう。
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悲観シナリオ:孫策が戦略にハマらない、そして孫権が育たない
しかし!
中国史のみならず、日本史や世界史を広く見た時、気になることもあります。父親が偉大に道を切り開き、その息子が武闘派(孫策)および穏健派(孫権)であるパターン。父が成功すれば成功するほど、だんだん、以下の問題が出てくる傾向にあります。
- 武闘派の息子にとって父親の存在が目障りになり、家庭がギスギスする
- 穏健派の息子のほうは、気楽な立場で守られすぎになり、リーダーとしては、育たない
そして、お決まりのパターンとしては、
- 武闘派の兄が敵(曹操?)の陰謀にかかって父に反乱し、国が分裂して、終わる
- 父が死んだ後、武闘派が兄につき、内政派が弟につき、後継者をめぐって国が分裂して、終わる
これはもちろん、悲観シナリオとして考えた展開です。ですが、世界史では「あるある」なパターンでもあり、あながち、悲観すぎるとも言えない気もします。
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まとめ:史実の家督継承は実は最高の条件だった?
ですが、このように、イフ展開をいろいろ考えていくと、意外なことにも気づかされます。
正史においては悲劇である、孫堅の急死と、孫策の病死。しかし見方を変えれば、事業を開いた者が、最高のタイミングで次代にすべてをバトンタッチしたからこそ、後継者側の団結力も高く、家臣たちも引き締まったとも考えられます。
特に孫権という人物には、若くして家督を継いだという責任感によって、あれだけのオオモノに急成長したという印象があります。父と兄の急死がなければ、孫権は平凡な人材に収まっていたのかもしれません。悲劇である孫堅の死も、息子が皇帝を名乗るほどのオオモノにまで成長したきっかけとしては、最高のタイミングだったともいえるのではないでしょうか?
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三国志ライターYASHIROの独り言
魏呉蜀の中でも、とりわけ安定感と団結力が強く見える呉の、その組織力の秘密は、実は「開祖が37歳という若さで急死した」ショック効果が良い方向に働いたおかげだった、と言えるのかもしれません。
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