貴方の「推し」は隠れているか否か。三国志には数多くの名将たちが出てきます。それはもう数が多く、伝が立てられている武将たちだけでもかなりのもの。範囲が「三国志」だけでなく、後漢書や晋書まで含めると更に……となりますね。
その中で「隠れた名将」となると誰が思い起こされるでしょうか?今回は筆者の中でも隠れた名将の名を挙げつつ、色々とご紹介させて頂きたいと思います。
この記事の目次
そもそも隠れた名将とはどこから?
と、言ったところでいきなり勢いを削ぐような話となりますが、皆さんは「隠れた名将」とはどこから「隠れた名将」と考えますでしょうか。そもそも記録が残っていない武将では存在も活躍も分からないし……じゃあ伝の内容が薄い武将?そうなってくると知名度的にはめちゃくちゃお高めな趙雲とかも隠れた名将になってしまいますね。
と、隠れた武将が誰になるか否か、というのは突き詰めると個人的な判断によるものとなってしまうのです。ならば極論、そこまで騒がれてはいないと思うけど自分の中ではめちゃくちゃ名将!を語ってもいいのではないか?いやいい!(反語)という訳で作者の個人的隠れた名将、紹介させて頂きたいと思います!
三国志・隠れた名将……その名は李通!!
今回ご紹介させて頂くのは、猛将にして名将、李通。字は文達という武将です。後漢末期の時代に活躍した武将であり、曹操の配下だった武将でもあります。
三国志の魏書に彼の伝は立てられており、二李臧文呂許典二龐閻伝に乗っています……この巻には李通と並び、李典や許チョ、典韋などが乗っているという曹操たる……失礼、そうそうたる巻でもあるのです。この李通がどういう武将が、少し見ていきましょう。
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不敗神話!?負けずの李通
さあ李通の強さと言えば、その戦歴が輝きで以て証明してくれます。196年から曹操の配下となった李通は、数多の戦いに身を投じることになりました。
198年には張繡との戦で曹操を救援にはせ参じ、見事張繡軍を破ります。また200年の官渡の戦いでは袁紹の調略にも揺らぐことなく毅然と対応、袁紹や劉表の言葉に惑うこともなく、曹操への忠義を貫き通すのです。。袁紹の使者を切ってその首を曹操に送り、更に汝南軍の瞿恭らを討伐、当人らのみならず一党全てを滅ぼしてその首を曹操に送り、後にその功績から汝南太守に任命されました。
そして209年には呉と劉備の軍に包囲された曹仁の救出に向かい、関羽と戦うという猛将っぷり。関羽との戦いがどうであったかは残念ながら分からないものの、李通は包囲網に突入、曹仁らを見事救出したその武勇は、曹操の配下の中でも筆頭と謳われたほどです。
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義侠心に満ち溢れた男、どんどんでかくなっていく
そんな李通は、昔から義侠心に富む男と知られ、周囲からも信頼されていました。また、武勇に優れていたことは話しましたが、李通が優れていたのは戦場での武勇のみではありません。周直という人物の性格を冷静に分析し、一人で暗殺計画を練り、成功させ、更にはその軍勢を吸収してしまいました。
こういった作戦を何度も繰り返したことで李通の軍勢は大きくなっていったといいます。しかし強大になっても李通の義侠心は変わりなく、大飢饉の際には自らの財産を投げ打って部下を助け、彼らの忠誠心も非常に高かったという李通。乱世にあってキラリと輝く一つの星であったことでしょう。
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李通将軍、早すぎる歴史からの退場
その李通の死は、あっけないほどに早く訪れました。209年、李通は呉、劉備の連合軍に急襲された曹仁を見事に救出。しかしその撤退の最中に李通は病にかかって死去したといいます。撤退の最中の病死となると、もしかして重傷を負っていて……その傷が原因で……色々と想像はできますが、彼は命を落としました。42歳、早すぎる歴史からの退場でした。
後に皇帝となった曹丕は李通に剛侯と諡し、その忠心を讃え、彼の子たちに恩寵を施したといいます。その子孫は、晋の世になってもその才能を発揮したとのことです。
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李通が隠れた名将とされる理由
さて李通が名将であることは理解して頂けたかと思います。しかし、何処ら辺りが隠れた名将なのか?
その理由の一つに、彼が三国志演義で全くと言って良いほど脚光を浴びていないことにあります。このため、李通という武将を知らない人もいるのではないでしょうか。ではどうして魏書にも記されている彼がそんな扱いをされているかと言うと……抽象的な答えを挙げるならば
「官渡の戦い」と言わせて頂きたいと思います。
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隠れる理由はどこにある?
官渡の戦いとは曹操と袁紹が熾烈極まりない戦いを繰り広げ、そして曹操が奇跡に袁紹軍を退けた戦い。ですがこの戦い、その昔は三国志を取り扱う題材でそこまで注目されていなかった、というより、袁紹自身が評価されていなかったという風潮がありました。
どうしてそうなったかと言うと、ベースが「三国志演義」であるものが多数を占めていたからです。三国志演義は、基本的に劉備陣営から見るシーンが描かれます。そして李通という武将は曹操の配下であり、多数の功績を挙げた名将でありながら、劉備陣営との関わりがほぼありません。早逝も合わせて、劉備との関わりの薄さから三国志演義では取り立てられることがなく、注目されなかった。それ故に隠れた武将となった、隠れた武将と言える存在となるのではないか、そう考える次第です。
早世した人物で言うと郭嘉が挙げられますが、郭嘉が知名度が高い理由が「劉備と諸葛亮の関わった赤壁の戦い」で曹操が郭嘉の名前を出したからこそ注目された……という穿った見方をすると、李通は彼らと関わりがほとんど無いから、隠れた武将となった、と言えるのではないでしょうか。だからこそ魏書に記される名将、李通を隠れた名将、として紹介させて頂いた次第であります。
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三国志ライター センのひとりごと
隠れた名将、というと三国志では様々な武将が浮かびます。それこそ時代を前後して、後漢書、晋書に記される武将が「三国志では隠れた名将」とするのも良いでしょう。それとも華々しい武働きではなく、ほんのりとしたエピソードの中で輝く人物……というのも捨てがたかったのですが、今回は李通を挙げてみました。もちろん李通以外にも「かの人物こそ隠れた名将!」という方々も多いでしょう。
三国志はとても深い沼、もしかしたら筆者のまだ知らない隠れた名将も、もっともっと存在すると思います。よろしければぜひ、貴方の思う「隠れた名将」も教えて下さいね、どぼーん。
参考:魏書李通伝
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