女の子なら誰でも、白馬に乗った王子様に憧れる時期があります。しかしながら、三国志を知った乙女なら誰でも、白馬の王子様像は消え去り、いつのまにか理想の男性は、「赤兎馬に乗ったダレカ」になっているはずです。
関羽はどうやって赤兎馬を手に入れたの?
赤兎馬といえばやはり関羽が一番しっくりきますが、そもそもは董卓が、丁原を裏切る見返りとして呂布に与えたものでした。呂布の死後は曹操の馬となり、曹操は関羽を味方に引き入れたいがために赤兎馬を関羽にプレゼントしました。関羽の死後は、呉の馬忠に与えられたといいますが……ずいぶん長生きですね!
関連記事:関羽千里行って有名だけど何なの?
喉から手が出るほどほしい赤兎馬
「炭火のように赤い」とされる赤兎馬ですが、本当に色が赤かったのでしょうか。中国において、赤色というのは、たいへんめでたい色で、誰もが好む色といっても過言ではありません。見た目が赤い上に、驚くばかりの巨躯であるという赤兎馬は、麒麟や鳳凰などの瑞獣にも匹敵するインパクトがあるはずです。
呂布がほいほいと義父の丁原を裏切ったとしても、どんな贈り物にも心を動かさなかった関羽が喜んだとしても、納得できます。
赤兎馬は汗血馬?
三国時代に先立つ漢の時代、西域産の名馬を求めて大遠征をおこなった皇帝がいました。前漢の第七代皇帝、武帝です。武帝ははるばるシルクロードを越えて、大宛(フェルガナ)まで遠征軍を送りました。そして長らくの戦いの末、西域産の名馬を手に入れたのです。
その時に武帝は言いました。「天馬来る、血の汗を流す馬」これが語源で、西域産の馬は「汗血馬(かんけつば)」と言われるようになりました。
血を流す馬……そうです。連想する色は「赤」ですね。ひょっとすると、赤兎馬は汗血馬なのではないでしょうか。董卓はもともと西涼の太守です。シルクロードを通ってやってきた汗血馬を、いち早く手に入れられる位置にいたわけです。
関連記事:衝撃の事実!赤兎馬の子孫が判明!?
気性が荒い馬は、戦闘馬として最適
戦闘馬に必要とされるものは、速力、持久力、体格ですが、さらに、気性が荒い馬であることも重要です。気性が荒いのは勇猛である証だからです。この当時の中国の一般的な馬は、小柄で、気性もおとなしいものでした。モンゴル原産の馬に比べても貧弱です。そういうわけでよく、北方騎馬民族の侵攻に苦しめられるわけです。
赤兎馬は、たいへん気性が荒く、誰も乗りこなせないことで有名な馬でした。そこで、曹操が関羽ならば、と与えてみると、関羽は見事に乗りこなしたということです。関羽の勇猛果敢な活躍は、赤兎馬あってこそと言ってもいいかもしれません。
関連記事:時空を超える関羽、琉球の民話に登場
関連記事:【歴代名馬史上最強戦】赤兎馬と騅ではどっちが凄い?
関連記事:あの張飛がデレデレ?張飛が愛した愛馬