※こちらの記事は「大戦乱!!三国志バトル」専用オリジナルコンテンツです。
お正月ですね、正月と言えば、仕事はお休み、三ヶ日まではお酒を飲んで
テレビで特番を見ながら、だらだら寝正月という人達も多いでしょうね。
そりゃあ、年に一度の事ですから、羽を伸ばしてゆっくりしたいものです。
ですので、今回は、三国志の三枚看板、曹操(そうそう)、劉備(りゅうび)、
孫権(そんけん)のお酒にまつわる面白い逸話を紹介しようと思います。
この記事の目次
三国志演義より 劉備と曹操、最初で最後のサシ飲み
曹操は、正史でも演義でも、酒での大失敗がない抜け目のない人です。
逆に、他人を酔わせて本心を探る事を得意としていたと思えます。
迂闊に本心を喋ると、その場では笑って何もせず後で理由をつけて処分する。
なんというか、一緒に酒を飲みたくはない人ですね。
さて、その曹操の下に、一時期、ライバル劉備が世話になっていた事があります。
徐州を呂布(りょふ)に乗っ取られて、命からがら兗州の曹操を頼った時です。
同時期、曹操は献帝(けんてい)も保護していましたが傍若無人な振る舞いが多く、
献帝は内心怒り心頭、漢王朝を立て直すという大義を掲げる劉備も、
曹操の振る舞いには、強い怒りを覚えました。
そんな折り、我慢できなくなった献帝は密勅を下し曹操暗殺を示唆します。
その命を受けた董承(とうしょう)が王子服(おうしふく)を同志として、
劉備の屋敷を訪れます。
劉備は警戒し躊躇しますが、結局賛同し7番目の同志として名を連ねました。
しかし、賛同はしたものの劉備は、計画が曹操にバレるのではと内心ドキドキです。
そこで、わざと家庭菜園などを始めて、せっせと汗を流し、
「どこにも行きません、ここに永住しまーす」と曹操の警戒心を緩めようとします。
残念ながら、この小芝居、曹操は何とも思わず、
「兄者ってば、曹操を斬って漢朝を再興する大義を忘れ、土いじりをしている!」
そう言って、プンスカ怒っていただけでした。
許褚と張遼が劉備を呼び出しに来る・・
ある日、劉備がせっせと家庭菜園に励んでいると、突然、曹操軍の強面2名
張遼(ちょうりょう)と許褚(きょちょ)が劉備を訪ねてきます。
張&許「ボス(丞相)がお呼びだ、急いで顔を見せろや」
劉備は顔面蒼白になります、(もしや暗殺計画がバレたのか?)
しかし、行かなければ余計に怪しまれるので、急いで曹操の屋敷に行くと
曹操は青々と実った梅を眺めていて、
「梅を愛でながら、君と一杯やろうと思った」と呑気に言います。
(なーんだ、計画がバレたんじゃないのか・・)
劉備は安心し、野外に設けられた亭でお酒を熱々に燗しながら飲みだします。
季節は春先でまだ寒く、熱燗は五臓六腑に沁みわたりました。
すると上機嫌になった曹操は、龍について語り始めました。
「龍というのは伸縮自在だ、大きくなれば霧を吐き、小さくなれば我が身を隠す
天に昇れば縦横無尽に駆け巡り、海に潜れば波一つ立てぬ、春、まさに龍は変化する
人が志を得て天下を巡るように、龍とはそんなものだ・・
時に、玄徳、この世で英雄と言えるのは、一体誰だと思うね?」
劉備と曹操、酒を煮て英雄を論ず
曹操に、この世の英雄について問われた劉備は思いつくままに、
当時の中華の群雄の名前を挙げていきます。
劉備「それは、四世三公で名門の出身である袁術(えんじゅつ)殿では?」
曹操「ふん!あれはすでに墓の中の骸(むくろ)だ、その内に片づける」
劉備「では、北方四州を握る袁紹(えんしょう)殿はどうでしょうか?」
曹操「袁紹は見かけ倒し、策略は多いが実行できず小さい事には血眼
大事となると命を惜しむ小物だ、奴も英雄ではない」
劉備「では、荊州を手堅く守っている劉表(りゅうひょう)殿はどうでしょう?」
曹操「劉表は、王族に連なるというだけの男、英雄ではない!」
劉備「では、江東で勢力を伸ばしている孫策(そんさく)はどうですか?」
曹操「あれは、父の名前が高いだけの七光、英雄とは呼べぬ」
劉備「ならば、天然の要害である益州を守る劉璋(りゅうしょう)殿はどうです?」
曹操「はっはっは、あれは漢室に縁があるというだけの番犬、
自分で物を考えられる男ではない」
劉備「張繍(ちょうしゅう)や張魯(ちょうろ)、
韓遂(かんすい)はいかがでしょうか?」
曹操「3人まとめてザコ!英雄には程遠い」
こうして、劉備の挙げる群雄をすべて、否定しながら、
曹操は最期に言いました。
曹操「この乱世をたばねられる英雄は二人しかいない、、
それは君と余だ!!」
劉備は、あまりの事に手に持っていた箸を落としてしまいます。
その時、雷が落ちて、劉備はピンチを脱する
(こいつ、今動揺したな、天下を狙う野心があるのか!)
曹操の目が鋭くなります。
しかし、ここで天地を轟かせて雷鳴が鳴り響きました。
途端に劉備は耳を塞いで身体を縮めます。
劉備「たっはー!とんだ醜態をお見せしました。
私は、子供の頃から雷が苦手なのです」
劉備は額をピシャッと叩き、力なく笑いました。
曹操は拍子抜けしました、雷如きに怯えるような男が、
将来の自分の敵になるとは思わなかったのです。
(フン、雷が怖いだと?腰抜けめ・・少々、こやつを買い被り過ぎたか)
かくして、劉備は命のピンチを雷のお陰で回避できたのです。
逆に曹操にとっては、ライバルを始末する千載一遇のチャンスを、
棒に振った瞬間でした。
やがて、辺りは豪雨になります、そして、雨が止むと、
曹操の屋敷の護衛を吹き飛ばし、二人の男が宝剣を片手に亭の前まで踊り出ます。
劉備の義兄弟、関羽と張飛です、二人は劉備が曹操に呼ばれたと聞いて
殺されてしまうのではと考え飛んできたのです。
「心配するな、これは鴻門(こうもん)の会ではない」曹操は苦笑し二人に告げます。
鴻門の会とは、漢の劉邦(りゅうほう)が楚の項羽(こうう)の下に
誅殺の危険を冒して謝罪に出向いた故事で、曹操は、
「私は劉備を殺す為に呼んだのではない」という例えに使ったのでした。
※この話は三国志演義を元に造られています。
三国志ワースト 酒乱の皇帝 孫権
呉の大黒柱、孫権(そんけん)は、孫堅(そんけん)、孫策(そんさく)と繋ぐ
江東に基盤を持った孫家の三代目の当主です。
若くして孫呉を継いだので、年齢の割には落ち着いており、果断な決断力で、
魏と蜀の間を巧妙に立ちまわり、三国の一角を占めました。
しかし、若くして孫呉を継いだ重圧か、孫権は大変な酒乱だった事が知られています。
それも、酒乱の中でも、もっとも性質が悪い、部下に飲酒を強要するタイプで、
酒を断る部下には、
「河に飛び込んで浮かばなければ勘弁する、浮かんできたら素面なので飲ませる」と
豪語して悪名を轟かせています。
孫権の呉王即位の宴で大事件が・・
孫権は、西暦220年に即位した魏の文帝(曹丕)によって呉王に封じられました。
そこで、宴会好きの孫権は、酒宴を催して、またガンガン酒を飲んで泥酔し、
居並ぶ家臣に強引に酒を注いで回る、いつもの悪い癖を始めました。
そんな孫権の家臣に、虞翻(ぐほん)という人物がいました。
虞翻は、個性の強い男で、孫権の酒に付き合うのを馬鹿馬鹿しいと思って
孫権が席の前に来ると酔い潰れて寝たふりをしました。
孫権「なんだ貴様、、ちっ、もう潰れたのか」
こうして、孫権は諦めて、次の家臣に酒を注いでいきます。
虞翻は、孫権をやり過ごすと、ケロッとして起き上がりました。
ですが、運の悪い事に、その瞬間を孫権にばっちり見られていたのです。
孫権「貴様ぁ!わしの酒が嫌で、寝たフリをしておったのか!」
泥酔している孫権は烈火のごとく怒ります。
普通なら、こういう時は虞翻が平謝りして怒りを解くのが普通なのですが、
彼は狂直と呼ばれた、自分が正しいと思ったら、何としても曲げない男です。
「はい、寝たフリしましたが何か?」という態度で悪びれません。
ますます怒った孫権は剣を抜いて虞翻を斬ろうとします。
その時に劉基(りゅうき)という家臣が孫権と虞翻の間に入り何とか孫権を宥めました。
孫権はブリブリ怒っていましたが、2対1では分が悪いと思ったのか、
剣を収めて引き下がりました。
酔いが醒めてからゾッとした孫権は・・
翌日、孫権は二日酔いから目を覚ますと、段々と昨日の様子を思い出しゾッとします。
【お正月企画】曹操、劉備、孫権のお酒にまつわる逸話を紹介
の続きは、「大戦乱!!三国志バトル」内で1月15日から公開予定!
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