成都の劉璋(りゅうしょう)を降伏させて、益州の牧となった
劉備(りゅうび)は、ようやく、一州を支配します。
益州は、一州でも人口100万で土地は肥えていて、
四方を断崖に囲まれる守るに易く、攻めるに難しい土地でした。
しかし、根拠地を得たと喜んだのも束の間、呉の孫権(そんけん)からは、
いつ荊州を返還するのか?と矢のような催促が来るようになります。
荊州の返還を求める呉の孫権
「蜀を得たら、荊州を返すという約束だった筈だ、早急に荊州を返せ」
孫権は、諸葛瑾(しょかつ・きん)を使者にして蜀に送り込みました。
劉備は約束した手前、知らないとはいえないので、
長沙、零陵、桂陽の三郡を返却するという手紙を諸葛瑾に手渡します。
諸葛瑾は使者として関羽に会いに行く
諸葛瑾は、この手紙を手に、荊州を守る関羽(かんう)の下を訪れます。
しかし、劉備の手紙を見た関羽は、渋面を作って、これを拒否します。
関羽:「いかにも、これは主君の字である、、しかし、荊州は元々は、
漢の領土、、他人に勝手に分け与えるわけにはいかん」
諸葛瑾:「そんな、、それでは約束が違います、、
劉備殿も納得されたのです、荊州三郡をお返し下され」
関羽:「将軍というものは、例え主君の命令でも、、状況によっては、
それを受けない事もある、いかに兄者の命でも従えぬ!」
関羽は、そう言い捨てると、もう諸葛瑾が何と言っても、
聞く耳を持ちませんでした。
諸葛瑾は止むなく、引きさがり、孫権に一部始終を報告します。
怒った孫権は魯粛に確認をとる
孫権は、関羽の態度に激怒します、そして魯粛(ろしゅく)を呼び付けました。
孫権:「おい、魯粛、貴様は、荊州を劉備に貸し与えておけば、蜀を取り次第、
返却してくれると余に請け負うたな?まさか忘れてはおるまい!!」
魯粛:「はい、、確かに請け負いまして御座います、、」
孫権:「では、これはどうした事か? 劉備は、益州を得ておきながら、
荊州の関羽は居直り、三郡を返そうともしないぞ!!
魯粛、貴様一体、どう責任をとるつもりだ!!」
怒り狂う孫権に、魯粛は言いました。
魯粛:「分かりました、私に一計が御座います、、
まず、陸口まで兵を進めてそこで酒宴を開いて関羽を呼びます。
そこで、荊州を返すように説得し、聞きいれればよし、
もし、聞かなければ、間者を放って関羽を討ち、荊州を取り戻します」
孫権:「よおおおし、、よくぞ、言うた、、必ず三郡を取りかえせ」
魯粛は呂蒙と甘寧を従えて陸口に向かう
魯粛は、呂蒙(りょもう)と甘寧(かんねい)を従えて、陸口に向かい、
そこで酒宴を開きます。
関羽は、魯粛の呼びだしに呼応して、出てきますが、交渉は決裂、
ここで、関羽は魯粛を盾にして、刺客を牽制して、
荊州に悠々と帰還したと三国志演義には書かれています。
しかし、実際には、この単刀赴会の故事はフィクションで、
関羽の態度にキレた孫権は、呂蒙を総大将にした大軍を荊州に派遣し、
孫権は陸口で指揮を取り、事態を察した劉備も長江を降って、
公安に駐屯するという一触即発になっていました。
ですが、魯粛はいきり立つ、呂蒙と孫権を説得、、
魯粛:「ここで蜀と呉が衝突したら、喜ぶのは曹操ばかりではありませんか?
お互いにバカな対立はよしましょうぞ」と進言します。
魯粛は関羽と会談を行なう
ここで、魯粛は、関羽と会談し、正論でもって関羽をやり込めたので
劉備は、渋々、荊州三郡を返還せざるを得なくなります。
実は、一触即発の蜀と呉を止めて、関羽を引きさがらせたのは、
呉蜀平和論者の魯粛だったのです。