さて皆さん、袁一族というとどんな印象があるでしょうか。三国志演義では曹操のかませ犬みたいな扱いをされるも、実際は強大な敵であり、近年再評価が進んできた袁紹。
突如として皇帝を名乗っちゃったと思ったらすごい勢いで転落していった、最期の「はちみつ」がやたら印象に残ってしまっている袁術。今回はそのどちらでもない、印象に残らないけれど残る、そんな人物、袁胤のお話をしたいと思います。
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正史の袁胤
正史三国志に、袁胤の伝はありません。しかし他の伝でいくらかの記述を見ることができます。袁胤は袁術の従弟であり、丹陽の太守に任命されたけれど、孫策配下から追い出されてしまうのが袁胤です。
その後、袁術が死んだ後はその棺、家族たちを連れて劉勲の元へ向かうのですが、ここで孫策に襲撃されて捕らえられ、その後の経緯は分かりません。
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三国志演義の袁胤
が、この袁胤、三国志演義ではひと味違います。
まず袁術の甥として登場します。そしてここで孫策から玉璽を献上された袁術、皇帝を名乗って有頂天。
やりたい三昧放蕩三昧で自分の領地を疲弊させ、周囲の曹操や劉備から攻撃され、這う這うの体で袁紹の元に身を寄せようとします。ここでよりによって財宝を持って逃げるのが三国志演義の袁術と言わざるを得ないのですが……この袁術に付いて行くのが袁胤です。
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袁一族の末路
抱えて逃げた財宝は裏切った部下に奪われ、兵糧もなくなってしまった袁術。仕方なくその辺の農民に「朕にはちみつを献上せよ!」と言うも袁術と知られるや否や嫌がられる始末。
ここまで民の心が離れていたのかと絶望して血を吐き、袁術は死にます。袁胤はその後は袁術の遺族を守って逃亡を続けるも、曹操の配下に玉璽とその命を奪われ、袁術の遺族と共にその首は曹操に献上されて終わりました。これが袁一族の末路です。
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当時の袁術
さてここで当時の群雄割拠の時代を思い出して下さい。
世は正に戦乱の時代、漢王室の権威は地に落ち、悪逆の徒である董卓が洛陽や長安でやりたい放題で国土も疲弊。
袁術は当初こそ周囲を争わせて上手く行っていたものの、献帝は曹操に奪われる。ここからがケチの付き始めのように皇帝僭称から周囲にふるぼっこぼこ。名族の威光もまた地に落ちた、そんな袁術の一族でした。
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