群雄割拠の時代、それも初期は多くの英雄たちが入り乱れ、まずは生き残るための戦いが幾度となく繰り広げられます。
そんな中であっちとこっちを戦わせたり、こっちとそっちを戦わせたりしていて、いざ自分が攻撃されると見事なまでに敗北をしてしまった袁術。
いきなり皇帝を名乗った挙句に最期は「ハチミツ飲みたい」と呟いて死んでしまう終わり方(だいぶ端折り気味)……そんな袁術とハチミツについて、今回はお話しましょう。
ハチミツの歴史
さてハチミツについてざっと説明しましょう。ハチミツはハチさんが小さな体で一生懸命集めてくれた蜜のことです。このハチミツ、一回で集められるのは20mgと言われており、大体お米一粒の重さより少ないのです。一匹のハチが花に向かい、そこで必死に蜜を集めて、そして持って帰って米粒よりも少ない……これだけでハチミツという存在がとても貴重なものであるのが分かりますね。
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ハチミツの手に入れ方
そんなハチミツの手に入れ方として、養蜂があります。養蜂は古くは古代ローマ、エジプトで行われており、ヨーロッパでは修道院などでも養蜂が行われていました。そんな養蜂技術がいつ頃中国で生まれたのかは詳しくは分かりませんが、東周後半、戦国時代にはハチミツを使ったお菓子があったようで、詩集にその存在を見ることができます。
とは言え庶民が気軽に手に入るものではなく、一定以上の権力者でないと口にすることはできなかったでしょう。
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袁術と漢室
では袁術の話に移りましょう。袁術は名門、四世三公と称される袁一族の一人です。
しかし袁術の時代には既に漢王朝の権威は失墜しており、首都の洛陽や長安は悪逆の徒、董卓によって荒らされていました。
そして196年、献帝は曹操に保護され、身の回りの全ては曹操によって取計らわれました。漢室の実権はほぼ曹操に握られていたと言っても過言ではない状況になっていたのです。
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「朕こそ皇帝である!」
おそらく、漢の命運はほぼ尽きたと思っていたのは袁術だけではなかったでしょう。しかし袁術と周囲の最大の違い、それは袁術自身が皇帝を名乗っちゃったということです。
献帝という存在がいる中で、皇帝を名乗っちゃったのだから周囲からこれでもかとバッシングされ、袋叩きにあい、ついでに孫策も独立してしまい散々な目にあいます。
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袁術「はちみつを持て」
そんな中で袁紹と曹操の対決が始まります。ここでまあ順当にいけば袁紹が勝つ、そうなると次は自分か?と不安になったのか、袁術は袁紹に「皇帝譲るからそっちにいかせて(意訳)」と打診。
袁紹も取り敢えずは袁術を保護しようとするものの、その途中で袁術は命を落としました。その最期において袁術は兵士たちの食料もない中で「ハチミツ(入りの水という説も)が欲しい」と言い、無いと分かるや我が身を嘆いて死んでいきました。
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