司馬模とはどんな人?八王の乱のサブメンバー?

2021年10月24日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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炎上する城b(モブ)

 

八王(はちおう)の乱のメンバーと言えば皆、司馬(しば)がつく(当然っちゃ当然)、皇室の出(当然)、大体王に封じられている(これも当然)というそうそうたるメンバーでしたが、ここで更なる「司馬」の一人をご紹介しましょう。

 

司馬模

 

その一人こそ、八王の乱のサブメンバーと言ってもいい、南陽王・司馬模(しばも)。

その一手はもしかしてもしかしたら歴史を変えたかもしれない……そんな彼を紹介します。

 

 

南陽王・司馬模

司馬模と司馬越は兄弟

 

司馬模、字は元表。司馬懿(しばい)の弟の孫にあたり、八王の乱のメンバーであり、最後の生き残りでもある東海王・司馬越(しばえつ)は兄に当たります。そんな彼自身の記録は少なく、幼い頃の記述は「若い頃から勉強好きで賢いと評判だった」とあるのみです。

 

司馬模

 

とは言え、大体の歴史に記録された人は「若い頃は勉学に励んだ」「とても賢いと巷で大評判!」とあるような気がしますが……まあそれは置いときましょう。分かりやすく南陽王、と書いていますが、彼が南陽王に封じられたのは305年9月のことです。

 

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司馬模、デビュー

陰謀野望渦巻く八王の乱では生き残れなかった司馬乂

 

そんな司馬模が歴史に出てくるのは、八王の乱も終わりに近づいてきた時。司馬ガイの死後、司馬エイが皇太弟になり、司馬ギョウは大都督となりました。

 

司馬衷に司馬乂を討伐しましょうと提案する司馬穎

 

しかし司馬エイはやりたい放題をしてしまったために諸将の恨みをかい、これに司馬越が挙兵。敗北した司馬越は東海へと逃亡、恵帝(けいてい)も捕らわれの身となりました。混乱する宮中を治めようと司馬エイは司馬越の弟たち、司馬摸らを呼んで和解しようとするも、司馬摸を含めた全員がこれに応じることはありませんでした。

 

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司馬越の反撃

司馬越

 

ここから、弟たちの和解に応じなかった毅然とした態度に応えるかのように、兄である司馬越の反撃が始まります。王浚(おうしゅん)と手を組んだ越は圧勝に圧勝を重ね、ギョウの土地を奪取。

 

洛陽城

 

エイたちは恵帝を連れ、長安へと撤退しました。この際に司馬ギョウは長安を首都としようとするも、結局洛陽と長安、二つの政府機関を置いたようになり、国家はますます混乱していきます。この際に司馬模は司馬穎(しばえい)に代わってギョウ城を任せられるようになりました。

 

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公師藩との戦い

司馬顒と対立する司馬越

 

こうして司馬顒(しばぎょう)と司馬越の対立が始まりました。この時に挙兵したのが司馬エイの旧臣、公師藩(こうしはん)。これを知った司馬ギョウは彼を鎮東大将軍に任じてギョウに向かわせる、これを迎え撃つのが司馬摸らです。

 

当初こそ公師藩らが押していましたが、丁紹(ていしょう)、司馬光(しばこう)、「エン州刺史・苟晞(こうき)」らの救援によってこれを打ち破りました。この後、九月にいよいよ彼は南陽王に封じられます。

 

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司馬ギョウの失墜

大きな軍事力を持つ司馬顒

 

こうなると司馬ギョウも何とか和睦をしようと試みました。しかしここで張方が反対。このままでは和睦を結べないと、司馬ギョウは張方(ちょうほう)を処刑、その首を司馬越の元に送って講和しようとしました。ですが既に司馬越に和睦という選択はありませんでした。

 

鄧禹と兵士

 

猛将の首を掲げて司馬越側は意気揚々と軍を進め、司馬ギョウの軍の士気はだだ下がり。長安までも陥落し、司馬ギョウは山中へと逃走することになったのです。

 

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絞殺される司馬顒

司馬顒

 

既に司馬ギョウに味方する者など誰もいませんでした。ここで司馬越も講和を考え始めます。今講和を結べれば、司馬ギョウに対して圧倒的に優位に立てるからです。

 

司馬越は「司馬ギョウの罪を許す。その上で司徒に任命する」という条件で洛陽に来るように命じ、これを司馬ギョウは受けいれました。しかし司馬摸は、これを受け入れてはいなかったのです。

 

司馬模に絞殺される司馬顒

 

司馬模は密かに刺客を送り、司馬ギョウを絞殺させました。ここで八王の乱は、司馬越を一人残して終焉を迎えたのです。

 

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司馬模のその後……

司馬越を横目に力を蓄える劉淵

 

しかし、既に西晋は異民族らの攻撃を跳ねのける力は有していませんでした。

 

漢王朝として独立した劉淵

 

国は乱れ、司馬摸が鎮守していた漢中も混乱の最中に陥ります。

 

異民族が暴れまわり混乱に陥る司馬模

 

司馬模は色々と打開策を討とうとするも上手くいかず、弟ではこれは治められないと司馬越は洛陽に招き、役職を交代させようとしましたが、司馬模はこれを断りました。これは家臣からの言があったからこそですが、司馬越が司馬模の考えをどこまで理解していたかはわかりません。

 

炎上する城a(モブ)

 

後、漢の攻撃により洛陽は陥落。

 

漢に降伏するも処刑された司馬模

 

司馬模は降伏するも、その罪状を挙げられ処刑されました。司馬模にも司馬模の考えがあったのでしょう。

 

ショック死する司馬越

 

しかし、司馬越のその後を追っていくと、どうにもこの兄弟は足並みが揃ってないように思われます。

 

司馬越

 

兄の真意を理解できないまま司馬ギョウを暗殺させた頃から、どうにも歯車がずれていた……そんな印象を受ける兄弟ですね。

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

司馬模は他の八王の乱のメンバーのように、記録が多い訳ではありません。しかしその足跡を追っていくと、決して流される訳でなく、兄と揉めることもなく、その一件一件を何とかしようとしたことは伝わってきます。それでも尚、どこか兄の司馬越と歯車がかみ合っていない気がするのですよね。

 

ポイント解説をするセン様

 

そのズレはどこから始まってしまったのかは分かりませんが……少なくとも、八王の乱という国家を揺るがし疲弊させた事件さえ起こらなければ、もう少しお互いに交流する時間があれば……そうではなかったのかな、と思うと何だか寂しいものがありますね。

 

センさんのとぷんver2

 

ともあれ八王の乱のサブメンバー、司馬模についてでした。チャポーン。

 

参考文献:晋書列伝第七宗室

 

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八王の乱

 

 

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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