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三国志にも「次世代」はやってきます。しかし次世代の悩みと言えば、親の優秀さと比べられること……更に言えば、同族同年代とも比較されること。それは後世になればなるほど顕著となります。
そこでいっそのこと並べて比較してみましょうのお時間!
皆さんのご意見、見ていきたいと思います!
※多数の方からツッコミを受けましたが「誰が」が正確ですね!すみませんでした!
諸葛亮の子・諸葛瞻
「能力的にどうとかというのはともかく、守り切れなかったとはいえ最後の最後まで戦ったのは立派だと思います」
引用元:はじめての三国志TV
蜀の諸葛亮の子供、諸葛瞻。
諸葛亮はこの子に対して兄の諸葛瑾に「息子は8歳になりました。とても優秀だけど早熟過ぎて将来大成しないんじゃないかと心配です」と言葉を残しています。
事実、諸葛瞻は諸葛亮の評判もあって実力以上に評価されていたとも言われており、また権力を握った黄皓相手に媚びていた、取り入っていたという一件からやや非難されることもある面も持っている人物。
ですがその最期は鄧艾と戦っての壮絶な討ち死とあって、忠臣としての評価もあり……と中々見方が複雑な人でもありますが、やはりその忠臣は評価されるべき、というコメント通りの将だと思います。
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諸葛誕の子・諸葛靚
「呉で結構高い位まで昇っているので、ここは逆を張って諸葛靚に一票」
引用元:はじめての三国志TV
諸葛誕が乱を起こした際に、息子の諸葛靚は呉に対して援軍要請のために人質として送られました。その後、諸葛誕は討ち死、三族皆殺しになり、諸葛セイはそのまま呉で生きることになります。
呉では順調に出世していった諸葛セイですが、その間に晋となった嘗ての祖国が攻め寄せてきます。
張悌との最期の別れ、呉の滅亡、幼なじみ司馬炎が取り立てようとするも固辞し、諸葛セイは晋の首都に顔を向けないまま過ごしたと言います……彼もまた、その忠義を評価された人物ですね。
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諸葛瑾の子・諸葛融
因みに今回はここら辺からコメントが見つからなくなりました。その理由の一つに「誰が誰か分からない」と言うのもあったようで……ご紹介して下さっていた下記のようなコメントもありました。
「一応解説(ネタ挟む)
諸葛瞻…孔明の息子 諸葛融…ロバの息子 諸葛攀…ロバの孫、諸葛融の甥 諸葛靚…諸葛誕の子」
引用元:はじめての三国志TV
このコメントの通り、諸葛融は諸葛瑾の息子で、諸葛恪とは兄弟。性格は兄とも父ともまた違い、楽しいこと、遊ぶことが大好きで、贅沢を好みました。ただ「楽しく遊ぶことに長けていたので周囲からは良く懐かれた」とされています。兄の諸葛恪とは折り合いが悪かったようですね。
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諸葛瑾の孫で諸葛喬の子・諸葛攀
諸葛攀は諸葛瑾の孫に当たる人物です。諸葛瑾の次男である諸葛喬の子供なのですが、諸葛喬は当時、子供がいなかった叔父、諸葛亮の養子に行きました。
この諸葛喬は早くに亡くなってしまったので、そのまま諸葛亮に養育されたようですが、元の家系の諸葛恪が人望を失った挙句に孫峻のクーデターによって殺され、呉の諸葛一族は皆殺しにされてしまいます。この後、諸葛瑾一族の身分を回復してその後継者となったのが諸葛ハンなのですが、本人はいつ亡くなったのかは不明です。
さてそんな諸葛ハンですが、
「諸葛恪は敢えて外したのかもしれないけど個人的には諸葛喬を入れて欲しいです」
引用元:はじめての三国志TV
というコメントがありましたので、他のコメントと合わせて諸葛喬のご紹介もしましょう。
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その他
「個人的には『諸葛喬』を推したいと思います。喬は亮の養子ながら北伐の戦地にも同行したりで亮が後継者にしたかったからに他にないと思われます」
引用元:はじめての三国志TV
諸葛喬は前述したように、諸葛瑾の息子で諸葛亮の養子となりました。才能は兄である諸葛恪よりも劣ると言われましたが、その性格は父親譲り、時に父親以上と大評判。
生来を期待されていましたが25歳の若さで亡くなりました。養子に行った三年後に諸葛瞻が生まれ、その一年後には亡くなっていますが、もしも存命であったならまだ若い諸葛瞻と良く協力して蜀の諸葛家を支えてくれたことでしょう。
長男は人格に問題あり、三男は別方面にしか興味がなく、次男は寿命が足りなかった……こう思うと諸葛瑾の息子たちも中々それぞれに尖っていると言えるでしょうか。
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三国志ライター センのつぶやき
今回は中々コアな部分を突いたアンケートだったためか、三国志ファンの皆さんでも「この人だあれ?」という人が多く見かけられました。
因みに諸葛瞻、諸葛攀は諸葛亮伝で、諸葛融は諸葛瑾伝で、諸葛セイは少ないですが諸葛誕伝や孫晧伝などで逸話を見ることができます。
よろしければ彼らがどんな人物だったのか、この機会に触れてみて下さいね。どぼーん。
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引用元:はじめての三国志TV