『三国志演義』の被害者!?「演義」と「正史」の張遼像に迫る




はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

敵を相手にして奮闘する張遼

 

魏の名将といえばまずその名が挙がるのが張遼(ちょうりょう)です。しかし、この張遼という武将はしばしば、『三国志演義』の被害者と呼ばれることがあります。なぜなら、張遼は「演義」の記述でその功績が過小評価されているという稀有な武将だからです。

 

三国志演義_書類

 

そこで、今回は「演義」と「正史」それぞれの張遼像を比べてみたいと思います。

 




「三国志演義」と「正史三国志」

正史三国志 vs 三国志演義で揉める現代人

 

まず、話を進めていく前提として、『正史三国志』と『三国志演義』についてその違いを押さえておきたいと思います。

 

晋の陳寿

 

『正史三国志』は、晋代に陳寿(ちんじゅ)によって書かれた歴史書です。著者の陳寿は蜀と晋に仕えた官僚であり、『正史三国志』は国家による公式な歴史書と言えるでしょう。ですので、晋の前身である魏を正統な王朝としており、客観的な記述を中心に書かれています。

 

三国志演義の作家 羅貫中

 

一方、『三国志演義』は明の時代に羅貫中(らかんちゅう)によって書かれたとされる物語であり、史実をベースとしつつも、劉備(りゅうび)諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)率いる蜀を善玉、曹操(そうそう)率いる魏を悪玉とする勧善懲悪の要素があり、さらに物語ということもあって、登場人物の活躍などは多分に誇張されて描かれています。

 

桃園三兄弟 劉備、張飛、関羽 vs 呂布

 

例えば、呂布(りょふ)虎牢関(ころうかん)の戦いで劉備・関羽(かんう)張飛(ちょうひ)の3人と同時に戦う場面や、長坂(ちょうはん)の戦いで趙雲(ちょううん)が劉備の子を抱いて百万の敵軍の中を駆け抜ける場面などは、『三国志演義』特有の創作となっています。

 

阿斗を劉備まで届ける趙雲

 

つまり、『三国志演義』は創作をふんだんに含んだ物語ですので、その登場人物の活躍は『正史三国志』と比べて大いに脚色されて描かれるのが普通です。

 

泣く子も張遼

 

しかし、この記事で扱う張遼については、なんと『三国志演義』よりも『正史三国志』の方がその活躍を鮮烈に描いており、『三国志演義』では張遼の功績が過小評価されているのです。

 

関連記事:関羽と呂布は特別な存在だった?フィクション「虎牢関の戦い」の編纂背景を考察

関連記事:内輪もめが多すぎた虎牢関の戦い~そして群雄割拠へ~

 

時空を越えた最強の将軍対決
呂布対項羽

 




 

『三国志演義』の張遼

関羽の降伏を説得しにいく張遼

 

『三国志演義』において、張遼は劉備の義弟・関羽との関係を中心に描かれています。

 

高順と張遼

 

『三国志演義』によれば、張遼はもともと呂布の部下である「八健将(はちけんしょう)」の一人であり、呂布が曹操に敗れた際にともに捕らえられます。その後、覚悟を決めた張遼は曹操を罵倒し、大人しく斬られようとしますが、これを救ったのが関羽でした。

 

愛馬に乗る張遼

 

関羽は張遼の助命を請い、曹操はこれを受け入れたため、張遼は命拾いして曹操の配下となります。これをきっかけに、張遼と関羽の間には男同士の友情が芽生えたのでした。

 

関羽

 

その後、劉備が曹操に敗れ、関羽が曹操の大軍に包囲されたとき、関羽は死を覚悟しました。その時に関羽の目の前に現れたのが張遼でした。張遼は関羽を懸命に説得し、曹操に降伏させます。

 

関羽が大好きすぎる曹操

 

これによって関羽は生きながらえることができ、張遼は関羽に恩を返したという形です。このように、『三国志演義』の張遼はあくまでも、漢気溢れる武将としての関羽を引き立てるための引き立て役に過ぎないのです。

 

呪われている太史慈

 

その後の呉との戦いの中での張遼の活躍はあまり描かれず、せいぜい呉軍の計略を逆手に取って太史慈(たいしじ)を討ち取ったくらいです。

 

関連記事:正史三国志と三国志演義で異なる張遼と太史慈の関係とは?

関連記事:太史慈・張昭・韓当の子供はどんな人物だったの?呉の重鎮たちの息子事情

 

【孫策が惚れた漢】
太史慈

 

【義に生きた武人・関羽】
関羽

 

 

『正史三国志』の張遼

正史三国志_書類

 

一方、『正史三国志』の張遼は全く異なります。『正史三国志』でも関羽と親しい付き合いがあったことは示唆されていますが、先程のような美しい男同士の友情はもちろん創作です。

 

正史三国志を執筆する陳寿

 

『正史三国志』では、張遼の並外れた武功が客観的に淡々と記されているだけに、その凄みがひしひしと伝わってきます。

 

呂布のラストウォー 処刑される呂布

 

『正史三国志』によれば、張遼は元々呂布の配下にいましたが、呂布が敗死した後に曹操に従い、すぐに将に取り立てられています。

 

赤壁の戦い

 

そして、(かん)との戦いや河北平定戦、赤壁(せきへき)の戦いといった曹操の主な戦いにはほぼ全て参加し、特に袁紹(えんしょう)との戦いでは、曹操に一時的に降った関羽と共に敵の猛将である顔良(がんりょう)を破る活躍をみせています。

 

赤壁の戦いで敗北する曹操

 

そして、赤壁の戦いの後、張遼は呉との国境に近い合肥に駐屯し、魏と呉との国境を守る任務に就きます。魏は赤壁に敗れたとはいえ、圧倒的な国力があったことから、呉もなかなか魏を攻めることはしませんでしたが、215年(建安(けんあん)20年)に曹操が西方に遠征に出かけた隙をつく形で、呉の孫権(そんけん)は大軍で合肥を攻めます。

 

最終的には協力して戦う李典や楽進と張遼

 

張遼は楽進(がくしん)李典(りてん)らとともにわずかな兵で呉の大軍に立ち向かい、張遼は果敢にも城から打って出て呉の大軍を散々攪乱します。

 

張遼の猛攻に泣きながら逃げる孫権

 

張遼の鬼神のごとき活躍に戦意をくじかれ、合肥(がっぴ)の堅い守りを突破できなかった呉軍は撤退をはじめますが、張遼はこれを徹底的に追撃し、大損害を与えたばかりでなく、あと少しで孫権を討ち取るというところまで孫権を追い詰めています。

 

敗北し倒れている兵士達a(モブ)

 

こうして、合肥の戦いは圧倒的に劣勢だった魏の勝利に終わりました。張遼の高い人気の源泉は、合肥の戦いに代表される圧倒的な活躍のはずです。しかし、残念ながら『三国志演義』では、こうした張遼の活躍のほとんどがカットされてしまっています。

 

張遼 カカロットーーーー!

 

これは、『三国志演義』の主人公が劉備や諸葛亮孔明率いる蜀であり、魏の武将は脇役に過ぎないからでしょうが、張遼のファンからしてみると残念な気分になりますね。

 

関連記事:曹操が赤壁で敗北したのは必然だった?現代アメリカの理論で見た曹操軍の弱点とは

関連記事:4671名に聞きました!赤壁の戦いの最大の功労者は誰?の集計発表!

 

赤壁の戦いを斬る!赤壁の戦いの真実
赤壁の戦い

 

 

 

三国志ライター Alst49の独り言

Alst49さん 三国志ライター

 

いかがだったでしょうか。張遼は史実では大活躍したというのに、『三国志演義』ではその活躍がだいぶカットされてしまっています。このように、張遼は『三国志演義』のせいでその功績が過小評価されてしまっている人物と言えるのではないでしょうか。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)書類

 

張遼ファンの筆者としては残念ですが、同じ人物でも『三国志演義』と『正史三国志』で見え方が異なってくるというのも、三国志の面白さと言えるのではないでしょうか。

 

関連記事:張遼の死因とは?三国志演義と正史で食い違うその記述

関連記事:正史三国志の張遼はどんな生涯を送ったの?呂布に仕える前は何をしていた?

 

【泣く子も黙る張遼】
張遼

 




関連記事

  1. 取り残された部下を助けに行く張遼
  2. 魏志(魏書)_書類
  3. 取り残された部下を助けに行く張遼
  4. 李典や楽進と張遼は不仲
  5. 愛馬に乗る張遼
  6. 太史慈

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。




はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

“はじめての三国志倶楽部

“濡須口の戦い

“赤壁の戦い

“公孫瓚

“はじめての三国志公式LINEアカウント"

“光武帝

“三国志データベース"

“三国志人物事典

鍾会の乱

八王の乱

三国志って何?




PAGE TOP