今回は三国時代最強の武を持った呂布(りょふ)にまつわる話です。
呂布は徐州を劉備(りゅうび)から強奪した後、家臣である陳登に「徐州の正式な刺史に任命してもらうように交渉して来い」と曹操の元へ使いに出します。しかし陳登は曹操に会うと寝返りの約束を取り付け、徐州刺史の依頼をしませんでした。
呂布は徐州刺史の使者がやってこない事に激怒。陳登(ちんとう)を呼びつけます。
呂布の逆鱗を躱すため「その肉を飽かしむべし。飽かざれば人を咬まんとす(そのにくをあかしむべし。あかざればひとをかまんとす)」と呂布を持ち上げます。
実はこの言葉には真の意味が隠されていました。
この記事の目次
劉備から徐州を強奪
呂布は曹操と兗州で激戦を繰り広げましたが、敗北します。
呂布は自らの精鋭数百騎と共に徐州の劉備の元へ逃げ込みます。
劉備は呂布を受け入れ、彼に小沛城を与えます。
呂布は劉備からもらった小沛城に赴き、力を蓄えていました。
そんなある日劉備は徐州に侵攻してきた袁術軍を迎撃するため出陣します。
呂布は劉備が袁術軍迎撃に赴いたことを知り、軍勢を下邳城へ向けて進発。速攻で下邳城を奪い取り、徐州の主として君臨します。
劉備に小沛城を与える
呂布は徐州乗っ取りに成功した後、袁術迎撃に出ていた劉備が降伏してきます。
彼は快く劉備の降伏を受け入れ、小沛城を与える事にします。
その後袁術軍の勇将である紀霊が劉備を討伐すべく小沛城に近づいてきます。
呂布は劉備からの救援要請に応え、小沛城に少数の軍勢を引き連れ出陣します。
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100歩以上離れた所から戟の小さな突起部分を射抜く
呂布は小沛城に着くと劉備に会いに行きます。
劉備から「わざわざ助けに来てくれてありがとうございます」と頭を下げてお礼を言います。
呂布は「おう。任せろ。オレが来たからには大船に乗ったつもりでいな」と劉備を安心させます。
呂布は袁術軍を率いる紀霊の本陣へ行き「劉備が困っているからよ、戦以外で決着をつける方法を提案しに来た」と紀霊に伝えると、彼は一本の戟を本陣の外に立てます。
そして兵士達や紀霊に向かって「みんな聞け。この戟に小さな突起部分があるであろう。今からオレが弓を射て、この突起部分に当てる事が出来たら兵を退いて領地に帰れ」に大声で伝えます。紀霊は渋い顔をしながら呂布の提案にうなずき事態を見守ります。
呂布は戟を立てた場所から100歩以上離れた所から弓を構え、無造作に射ると、弓は戟の突起部分に見事に刺さっています。
この光景を見た兵士達からは大歓声が沸き、袁術軍の大将である紀霊は仕方無く、自らの領地に帰っていくのです。
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陳登を曹操の元へ
呂布は劉備を救った後、下邳城へ帰還します。
彼はその後名実共に徐州の主となるために、陳登に「俺を徐州の刺史にしてもらうよう、曹操にお願いして来い。」と命令します。
陳登はもともと徐州の官吏で劉備に仕えていましたが、呂布が徐州を強奪した時に、致し方なく仕えておりました。
表面上は呂布の忠実な配下を装っておりましたが、本心は曹操に仕えようと決意を固めておりました。
陳登は胸に秘めた思いを果たすため呂布からの命令を受けて、曹操の元へ向かいます。
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曹操と密約を交わす
陳登は曹操の元に着くと会談を開始します。
彼は曹操に会うと「あなた様が徐州を攻める時、我ら親子は呂布を見捨て、あなた様の勝利に必ず貢献します。」と寝返りの約束をします。
彼は呂布に徐州の刺史をお願いする気など毛頭なく、寝返りの約束を取り付ける事が目的でした。
曹操はこの言葉を聞いて大いに喜び、陳登と陳珪親子に領地の加増をします。
陳登は寝返りの約束を取り付けると下邳城へ帰ります。
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