三国志と三国志演義には違いがたくさんあります。というのも、そもそも三国志とは歴史を記録したものであり、三国志演義は庶民や多くの人々に親しまれた物語と言う形式なので、違いが出るのは当然とも言えましょう。
そしてこの「違い」にも色々ありますが、今回注目して見たいのは「死因」の違いです。死因の違いについて、そしてどうして死因が違うのか、その辺りに注視していこうと思います。
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病死や刑死戦死などの死因
さて死因とは、死んだ原因のことです。まあそのまま、文字の通りの意味ですね。この死因についても三国志では色々ジャンルがありまして、病死だったり、討ち死に、つまり戦死だったりと様々です。
また珍しい例ですが、暗殺での死や処刑での刑死もありますね。暗殺では有名な所で董卓が、刑死では呂布や、関羽も刑死に当たります。
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三国志演義では戦死が多くなる
全ての統計を取った訳ではなく申し訳ないのですが、個人的な印象では三国志では病死、三国志演義では戦死のイメージが強いですね。このイメージの要因として、「三国志では病死の人物が、三国志演義では戦死とされているパターンが多い」というのが理由に挙げられます。
もちろん全ての人物の病死が戦死になっている訳ではなく、フェードアウトしていたりしている人物も正史、演義を問わずたくさんいるのも現状です。
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張遼は正史三国志では病死した
一例として、正史では病死、三国志演義では戦死となっている人物として、みんな大好き。孫権はトラウマの張遼を挙げてみましょうか。
張遼は正史では病死しています。病死の前にも病身を押して出陣、孫権に「張遼病むとも当たるべからず」、という張遼が病気だと言っても油断するなよという内容の話をしているので、この時点でかなり無理をしていたのでしょう。
そのまま江都で病死し、曹丕は涙を流してその死を悼みました。この流れは三国志演義では採用されず、張遼は戦死しています。
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演義では曹丕をかばって死ぬ張遼
三国志演義での張遼の戦死は「曹丕をかばって伏兵の矢を受けての戦死」となっています。こういった病死から戦死への流れとして、一つの理由として考えられるのが「物語としてのドラマ性」でしょうか。
つまり病死よりも、華々しい戦死、張遼の場合であるならば皇帝となった曹丕をかばっての戦死、言わば「主君をその身をもって災いから守っての死」となります。戦死したことが分かりやすく、しかも物語の1ページとしての美しさを優先した結果、と言えるでしょうね。
まあ正史の張遼の病死も決してドラマチックではないことはないとは思いますが……そこは時代として、物語のジャンルとして楽しまれる最期、という理由があったのかもしれません。
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周瑜も病死から憤死へ変更
さて死因の違いとしてもう一つ触れておきたいのが、憤死の流れ。ここで思い出して欲しいのが三国志演義の周瑜の最期です。
三国志演義の周瑜は呉の提督として素晴らしく優秀な存在であるのに、何だかんだ魯粛をいじめたり、どうしても諸葛亮には敵わない、という存在として描かれてしまっています。それを決定付けるのがその最期、正史では病死であるのに、三国志演義では散々諸葛亮に煽られての憤死となっています。
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