劉備と劉邦。タイトルは「項羽と劉邦」の間違いではありません。あえての「劉備と劉邦」です。
というのも、中国史を習ったばかりの頃に、混乱して仕方がなかった二人でした。時代的にも近い上、二人とも劉姓です。しかも名前も一文字。混乱します!(私が)そこで、二人を比べてみることで、違いをはっきりさせてみようと思いました。
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この記事の目次
劉備と劉邦の違いを分かりやすく解説
劉備(161~223)
言わずと知れた『三国志』の主人公、劉備。字は玄徳。涿郡涿県出身で、三国時代の蜀の初代皇帝です。
地方豪族の一族に生まれたものの、幼いころに父が亡くなり、母と蓆を編んだりして貧しい暮らしをしていました。
黄巾の乱の際に、義勇軍募集の立札を見て旗揚げし、義兄弟の関羽・張飛とともに手柄を立て、その後、様々な勢力と対立しながら蜀を建国します。
劉備は、前漢景帝の子、中山靖王劉勝の末裔を名乗っています。つまり、劉邦の玄孫の子孫ということですね。
劉邦(前256または前247~前195)
秦の始皇帝の死後、項羽とともに戦い、天下を手に入れた、漢王朝の初代皇帝です。沛県出身で、字は季。末っ子という意味だそうです。
中流農家出身で、始皇帝の墓陵建設のときに、全員を逃がして叛徒の仲間入りをします。その後、陳勝・呉広の乱で反乱軍に身を投じ、項羽とともに天下を目指しますが、いつしか二人は対立していきます。
激戦の上、勝利したのは劉邦でした。紀元前202年に漢の皇帝につき、その後、途中に少しの間は空きますが、三国時代を迎えるまで、彼の建てた漢王朝は存続し続けるのです。
そのほかの劉姓
『三国志』に登場するのは劉備。その先祖が劉邦でした。しかし、『三国志』には、劉備のほかにも劉姓の人物が登場します。しかも劉備と直接の血のつながりがあるのは、ごく少数で、だいたいは他人か、果てしなく遠い親戚にあたります。
・劉表 りゅう ひょう(142~208)
字は景升。前漢景帝の子、魯恭王劉余の末裔です。系譜が劉備ととても似ています。荊州を治め、曹操から逃れて来た劉備を受け入れ、新野城を与えました。
・劉琦 りゅう き(?~209)
劉表の長男。後継争いに敗れ、劉備と行動を共にしますが、まもなく病死します。
・劉琮 りゅう そう(?~?)
劉表の次男。劉琦の異母弟。父の跡を継ぐものの、すぐに曹操に攻められて降伏します。
・劉璋 りゅう しょう(?~219)
字は季玉。漢王朝の末裔ですが、劉備と直接の血のつながりはありません。益州を治めていましたが凡庸で、劉備が攻めてくると降伏し、益州を引き渡しました。
・劉封 りゅう ほう(?~220)
劉備の養子。援軍をしぶったことで関羽が死に、その責任を負って自害しました。
・劉禅 りゅう ぜん)(207~271)
字は公嗣。劉備の息子。蜀の二代目皇帝になりました。
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