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袁術が評価される日も近い?スーパー袁術の凄い所7連発!!

2016年6月14日


 

魯粛と袁術

 

別に誰に頼まれたわけではないのに、はじさんが勝手に

フィーチャーして盛り上げている、スーパーエリート袁術伝説。

秒速で皇帝を名乗り、秒速で落ちぶれた男、袁術(えんじゅつ)には、

曹操(そうそう)劉備(りゅうび)にも負けない凄い所が沢山あります。

ここでは、そんな袁術の凄い所をテンポよく紹介していきますよ。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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1発目! 四代三公の超名門だから凄い!

袁家ヒストリー01 袁術 袁紹

 

袁術は、後漢でも名門中の名門の家に生まれています。

汝南袁氏は、初代の袁安(えんあん)から始まり、
袁敞(えんしょう)、袁湯(えんとう)、袁逢(えんほう)、

袁隗(えんかい)と4代にわたり、三公という主要な大臣クラスを勤めています。

通常は、一人、三公が出ただけでも大変な名誉なのに、

それが4代、100年以上にわたり出続けた袁家は

文句のつけようがない名門と言えるでしょう。

 

えっ?じゃあ袁術は、三公になったのかって?

うーんとね、袁術は、三公を飛び越えて皇帝になったから、

もっともっと、凄いんです。

 

2発目! 去る者は負わない主義だから凄い!

袁術と孫策

 

袁術の下には、その名門の名前ゆえに、有能な人材が、

次々と集まってきました。

 

孫家の基礎を築いた孫堅(そんけん)から始まり、

その息子の小覇孫策(そんさく)孫策の盟友、周瑜(しゅうゆ)

赤壁の戦いの影の仕掛け人、魯粛(ろしゅく)

さらには、少年時代の諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)

いずれも三国志のビッグネームばかりです。

 

しかし、これらの人々は途中で戦死した孫堅を除き、

袁術に一時仕えただけでさっさと出て行ってしまうのです。

 

本来なら泣きべそかきながら追いすがってでも、

思いとどまらせる所ですが、

 

懐が深い袁術は、去るものは追わずを貫きました、そこが凄い!!

 

関連記事:袁術の前をガン無視で通り過ぎた漢達が予想以上に多かったのでまとめてみた

関連記事:【三国志界の絶対王者】袁術の『陽人の戦い』は頑張らなくても成果がついてくる。その理由とは?

 

3発目! 何気にいい人だったりするのが凄い!

朝まで三国志 袁術

 

全体としては有能でも、個人的には残酷非情な人が多い三国志の英傑達。

しかし、袁術は、個人としてもいい話が残っている稀有な人です。

少年時代の陸積(りくせき)が、寿春の袁術邸に遊びに行った時の事、

陸積は、デザートで出された当時は貴重品だったミカンを、

食べずに懐にいれて持ち帰ろうとして、途中で転びミカンをこぼしてしまいます。

 

それを見た袁術は、陸積に「君は泥棒の真似をするのか?」と叱りますが、

陸積が「故郷の母親に食べさせようと思って、、」と説明すると、

その親孝行ぶりに感動して、ミカンを与えています。

 

これは、二十四孝という、中国の道徳の教科書にも載る話です。

 

董卓&呂布

 

また、董卓(とうたく)が洛陽に入り、好き放題に振る舞いはじめた頃、

袁術は、曹操の屋敷にふらっと現れて、家人に

 

「孟徳は、董卓に逆らって殺されたらしい、、

お前達も罪が及ぶ前に洛陽から逃げた方がいいぞ」

 

と、さりげなくアドバイスをして、帰っています。

 

曹操が殺されたというのは誤報でしたが、

その後、董卓に仲間になるように誘われた曹操は、

董卓に先がない事を見越して、これを拒否し、

一族と共に洛陽を離れるので、結果として袁術のアドバイスは、

間違っていなかった事になるのです。

 

何気に良い事をしている袁術、凄いです。

【次のページに続きます】

 

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kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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