曹操(そうそう)をはじめとして魏の武将達は色々な逸話を残しております。
そこで今回は魏(ぎ)の武将達が残した逸話の数々を紹介していきたいと思います。
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曹操の逸話【花嫁泥棒】
曹操は幼少期から色々な悪事を働いており、
青年になってからは当時まだ仲が良かった名家出身の袁紹と共に、
数々の悪事を働いております。
ある日曹操は近隣で結婚する夫婦の噂を聞きます。
彼はこの噂を聞くと袁紹に「本初(ほんしょ=袁紹の字)花嫁パクリに行かないか。」と
誘います。
袁紹もまだ若かった為、「そうだな。やるか。」とノリノリで答えます。
こうして二人は花嫁を奪う計画を立て実行に移します。
曹操はまず花嫁が寝ている寝室に侵入します。
この時袁紹はどうしていたかというと、外で騒ぎを起こして見張りの目を自分に
ひきつけておりました。
曹操は花嫁を担ぎ上げ袁紹と共に垣根を越え、
難なく垣根を越えて走り始めます。
曹操の機転により何とか捕まらずに済む
袁紹は垣根を越えた際に足を痛めて蹲ってしまいます。
追手は大声をあげて彼らの元に近づいていたため、
曹操は大声を出し「花嫁を奪った奴はここにいるぞ!!」と呼びかけます。
この声を聴いた袁紹はびっくりして、足の痛みを忘れて大急ぎで走り始めます。
こうして何とか二人は逃亡に成功しましたが、
袁紹はこのことがあってから曹操の事を嫌いになったそうです。
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許褚の逸話【馬超をビビらせる】
曹操親衛隊の隊長としてその名をはせていた許褚(きょちょ)。
関中の軍閥である馬超や韓遂(かんすい)らが反乱を起こした際、
曹操は馬超軍に責め立てられ命の危機にさらされます。
この時許褚が自らを盾にして曹操を守り切ったおかげで、
危機的状況を何とか脱することに成功します。
その後馬超は韓遂と共に曹操と会見を行います。
この時馬超は曹操が出てきたら彼を討ち取ろうと考えておりました。
しかし曹操の隣でガンを飛ばしてくる巨体の武将がおりました。
馬超はこの巨体の武将の威圧に気づき曹操に
「そういえばあなたの親衛隊に巨漢の猛者がいると聞き及びましたが、
どこにいるのでしょうか。」と尋ねます。
すると曹操は「われの後ろにいるのがその男だ」と
指をさすと先ほどから馬超にガンを飛ばしている武将でした。
馬超は許褚の気に飲まれてしまい、
曹操を討ち取ることができずにこの会見を終えております。
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郭嘉の逸話「兵は神速を貴ぶ」その1
郭嘉(かくか)は曹操軍の軍師で曹操に様々な献策を行い勝利に導いています。
曹操は河北の統一に向けて、袁家の兄弟討伐の戦に明け暮れておりました。
袁紹の長男である袁譚(えんたん)を処断することに成功しましたが、
次男袁煕(えんき)と三男袁尚(えんしょう)は鳥丸族の元へ逃げ込みます。
曹操袁家の兄弟を討伐すべく鳥丸族討伐を提言します。
曹操の配下達は、劉表の元に逃げ込んだ劉備が北上してくる可能性を危惧し、
反対します。
しかし郭嘉は「劉表はこれまで何度も北上する機会があったが一度も攻めてこなかった。
劉備がいくら劉表に進言しても攻撃は仕掛けてくるまい」と予言めいた進言を行います。
この郭嘉の進言を聞いた曹操は鳥丸族討伐を決意します。
「兵は神速を貴ぶ」その2
曹操は北伐を開始すると中華の北端である易県に到着します。
郭嘉はこの地に到着するなり曹操に
「今、輜重は多くかの地へ到着するにはかなりの時間を要します。
そのためこの輜重は後続の兵に任せて、われらは軽騎兵を率いて進軍するべきだと
思います。孫子も戦いは短期決戦で終わらせるのが最良であると述べており、
兵は神速を貴ぶものです。」と進言します。
曹操は郭嘉の進言を受け入れ輜重を後続の軍に任せて、
自らは軽騎兵をもって鳥丸族の元へ進撃していきます。
この郭嘉の進言のおかげで戦は大勝利に終わりますが、
袁家兄弟を捕まえることはできませんでした。
また郭嘉はこの戦が原因で病を得ることになり、
鳥丸族討伐戦後に亡くなってしまいます。
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三国志ライター黒田廉の独り言
魏の武将の代表的な名言を取り上げてみました。
まだまだ魏の武将や蜀の武将達、呉の武将達の逸話がございますので、
発見し次第取り上げていきたいと思います。
「今回の三国志の逸話はこれでおしまいにゃ。
次回もまたはじさんでお会いしましょう。
それじゃあまたにゃ~」
—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—
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この記事を書いた人:黒田廉(くろだれん)
■自己紹介:
横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。
■歴史人物:
■何か一言:
今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!