130話:孔明無言の帰還と魏延の最後

2016年10月11日


 

孔明と劉備、関羽、張飛

 

西暦234年、8月、蜀の丞相、諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)

後漢復興の夢も虚しく五丈原に没しました、享年54歳でした。

 

孔明と司馬懿

 

自らの死を予感した孔明は、自身の木像を造り司馬懿(しばい)の奇襲に

備えたので、魏の司馬懿は蜀軍の反撃を恐れて退却していきました。

蜀軍は、孔明の遺言どおり撤退を開始しますが、ここで不協和音が生じます。

 

前回記事:129話:死せる孔明生ける仲達を走らす

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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魏延、北伐継続を主張して楊儀と対立

魏延と楊儀

 

蜀の陣営は、費禕(ひい)も、姜維(きょうい)も、楊儀(ようぎ)も、

主だった重臣は、孔明の遺言どおり、北伐を断念して撤退する事を承知していました。

しかし、以前から、孔明の消極的な北伐に批判的だった魏延(ぎえん)だけは

あくまでも孔明の遺言に逆らい、北伐継続を主張します。

 

魏延「なにィ!!退却だとぉ?何故だ!

我が軍には食糧も十分あり補給にも滞りがないのだ。

第一、まだ、まともに戦ってさえいないではないか!」

 

楊儀「黙られよ!魏将軍、これは亡き丞相の意志である

今は、丞相の柩を守り成都に引き返す事が優先される!」

 

魏延「ふん!くたばった人間の遺言など後生大事にして何になる?

今後は、この魏延が丞相に代わり北伐軍を率いるぞ!!」

 

魏延は、悪態をつき楊儀の指揮下に入る事を拒否しました。

 

孔明は遺言で魏延にも言及していた・・

魏延、姜維、王平、楊儀

 

自分の死後、魏延が撤退に従わない事は、孔明も承知していました。

そして、その場合には、魏延を無視して撤退するように命じます。

同時に退却軍を率いる楊儀には、魏延を暗殺する為の秘策を書いた袋を渡します。

 

こうして、魏延を除く蜀軍は、退却を開始しました。

怒った魏延は、先回りして漢中に繋がる桟道を焼き払います。

楊儀は困りますが、姜維が漢中への裏道を見つけ出したので、

全軍はそこを通って退却を継続します。

 

王平 四龍将

 

一方で楊儀は、王平(おうへい)を派遣して魏延の軍勢に襲い掛かります。

王平は強く、魏延の軍勢はバラバラに逃げ出して、残ったのは、

馬岱が率いる300名程度の手勢になりました。

 

馬岱「こうなっては、仕方がありません、

南鄭(なんてい)まで下がり兵力を集めてきましょう」

 

魏延は、馬岱の進言を入れて南鄭に進みます。

 

魏延、孔明の秘策で、呆気ない最後を遂げる・・

孔明

 

しかし、南鄭に向かう途中で、魏延は楊儀の軍勢と

ばったりと遭遇してしまいます。

 

ピンチになった楊儀は、孔明から与えられた袋を開けました。

そして、そこに書いてある言葉を読み上げます。

 

楊儀「魏延よ!誰かわしを殺す勇気のあるものがいるか!と

3回言えたら漢中は、貴様にくれてやろう!!」

 

魏延は、せせら笑っていいました。

 

「いいとも、3回どころか10回でも言ってやるわ!

誰かわしを殺す勇気があるものがいるか!」

 

馬岱「おう!ここにいるぞ!!」

 

馬岱は叫ぶと、魏延を背後から斬り殺しました。

魏延は、恐ろしい形相をして馬岱を睨みましたが、

力尽き、そのまま落馬して息を引き取りました。

 

馬岱は孔明の計略で魏延についているフリをしていたスパイだったのです。

 

孔明無言の帰還・・蜀は悲しみに包まれる

劉禅

 

魏延を排除した後、蜀軍は、漢中を越えて成都に向かいました。

劉禅(りゅうぜん)と宮廷の一行は、全員が白い喪服を着て、

成都から二十里先まで歩き、無言の帰還をした孔明を出迎えました。

 

劉禅は、いつになく感情を露わにし「天は私を見捨てたのだ」と号泣し、

名も無い農民達まで大地を踏みならし、亡き孔明を偲んで涙を流しました。

その泣き声は、大地に鳴り響いていたと伝えられます。

 

特に孔明と苦しい北伐を切り抜けてきた蜀兵の中には、悲しみの余り

食事も喉を通らなくなり衰弱死したものまでいたと言われます。

 

孔明の後任には、遺言どおり、蔣琬(しょうえん)が当てられ

北伐は当面凍結、蜀は孔明没後の国力の建て直しに忙殺されます。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

孔明の死後、謀反を起こしたかのように語られる魏延ですが、

現実には、そうではありません。

彼は、孔明の遺言による撤退に納得できず蜀軍の主導権を

楊儀から奪おうとして結果、謀反したように見えるだけなのです。

ここでは、孔明が馬岱に魏延を暗殺する策を授けていますが、

これは演義の脚色で、実際は魏延が残るなら構わず退却しなさい

という判断しか下していません。

 

つまり、魏に投降するなり、蜀に残るなり好きにすればいい

と孔明は魏延に言っているわけです。

確かに、孔明以外で魏延を指揮できる人はもういなかったでしょう。

 

史実では、魏延は蜀軍を撤退させまいとして漢中への桟道を焼き、

さらに成都には、「楊儀が反逆した」と嘘の上奏をしてまで蜀軍の主導権を

握ろうとしますが、成都は楊儀を支持して魏延は賊軍になってしまい、

最後は親族と落ち延びる所を馬岱に斬られて世を去ってしまいます。

 

あれだけ活躍した武将にしては、悲しい最後ですね・・

 

次回記事:131話:新宰相・蔣琬(しょうえん)により変貌する蜀

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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