ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく
「ろひもと理穂の三国志・もしもボックス」のコーナーです。
早死にせずに生きていたら三国志はどうなっていたのだろうか?
孫権の兄である孫策(そんさく)が早死にせずに生きていたら三国志はどうなっていたのだろうか?
三国志のシュミレーションゲームをプレイすれば実現可能な世界です
(シュミレーションゲームでも孫堅・孫策は寿命が短く設定されてはいますが)。
今回は「小覇王」こと孫策が生きていたら・・・という三国志ifについてお話していきます。
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曹操(そうそう)がどうなっていたのか
弟の孫権は君主になれたのか、気になるところかもしれませんが、それより問題は曹操でしょう。
孫策が刺客の手にかかり負傷し、
その傷がもとで病没したのが200年の4月になります。
その年の10月には、
河北の覇者・袁紹の大軍と曹操が衝突する「官渡の戦い」が行われます。
「正史」呉書によると、孫策はひそかに出撃態勢を整えていました。
曹操と袁紹が官渡で対峙している隙を突いて許都に侵攻し、献帝を保護する計画だったのです。
諸将も各部署にすでに配置されていたようです。
しかし出兵直前に孫策は刺客に襲撃されるのです。
もし、孫策が刺客を倒し、
万全の状態で曹操の領地に攻め入っていたら、曹操は防ぐ手段があったのでしょうか。
なかったかもしれません。だからこそ曹操は事前に打てる手を打っていました。
互いの血族を婚姻させ、孫策を懐柔しようとしています。
一方で、孫策に対し「狂犬相手に競っていてもしかたがない」とも発言しており、
コントロールできる相手とも思っていなかったようです。
暗殺は最終手段として曹操陣営が画策したのかもしれません。
袁紹VS孫策
その孫策が健在で攻め込んでくるとなると曹操の苦戦は必至です。
許都は孫策に奪われ、官渡の戦線でも曹操は大敗。
袁紹に首を刎ねられ処刑されていたかもしれません。
おそらく袁紹と孫策は示し合わせて曹操を攻めたのでしょうが、
目標の曹操が滅亡すると今度は敵同士になります。
兗州の陳留もしくは豫州の許都あたりが袁紹軍と孫策軍が激突する戦場になるのではないでしょうか。
戦力は完全の袁紹が有利です。
荊州の劉表も袁紹と組んでいますから、今度は孫策が二方面で戦うような局面に陥ります。
曹操配下の将や謀臣がどちら側につくのかでも戦局は変わる可能性もありますが、
孫策が圧倒的に不利な状態です。
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孫策&周瑜&??
守りは弟の孫権に任せて、孫策・周瑜は袁紹迎撃でしょう。
おそらく劉表は江夏で敗れた黄祖を先鋒にして孫策領に攻め込んでくるでしょうが、
袁紹の陣営には顔良、文醜、張郃の他に劉備や関羽、張飛もいることになります。
こうなると曹操配下のメンバーに期待することになります。
献帝を保護していることから荀彧や荀攸は孫策側につくとして、
他にも夏候惇、夏侯淵、張遼、于禁、徐晃、楽進らの経験豊かな武将たちも旗下にほしいところです。
さらに郭嘉、程昱らも加われば、人材面では袁紹側に劣ることはないでしょう。
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三国志ライター ろひもと理穂の独り言
戦力面を考えて孫策は袁紹と和睦するかもしれません。
代償として許都も皇帝も袁紹に譲ります。
しかし荊州の劉表は袁紹と結んでいることから孫策はこれ以上の領土拡大ができなくなります。
さらに武威によって江南を支配しましたから
、地元の反発も大きいものが予想されます。
陸遜あたりは敵に回るかもしれません。
袁紹が上手く裏から反乱を操作しそうですね。
こうなると孫策が滅ぶのも時間の問題でしょう。
そして袁紹が天下を統一するのです。
どうでしょうか?皆さんはどうお考えですか?
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