黄忠と黄蓋は親族なの?黄忠と黄蓋の違いと共通点をわかりやすく解説

2017年12月16日


 

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ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく「ろひもと理穂の三国志・同族ですか?」のコーナーです。

 

 

三国志をはじめて読むと同じ姓の登場人物が多くて混乱しますね。例えば「孫」です。

 

海賊時代の孫堅と孫策

 

呉の孫堅(そんけん)孫策(そんさく)孫権(そんけん)をはじめとして、蜀にも孫乾(そんけん)がいますし、魏にも孫礼がいます。どっちかどっちだっけ?みたいな感じになります。

 

「張」は多いですよ。皆さんは何人くらい名前がいえますか?

 

張飛の男気人生

 

張飛張遼張昭張角張郃張魯張燕張松張繍張紘・・・たくさんいますねー。なんと張の姓だけで60人突破してしまうのです。でも、30人の名前が出てきた方は間違いなく三国志マニアですね。

 

ちなみに今は10人を例にあげましたが、この中で同族は誰もいません。同じ張の姓でもまったく関係がないということです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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日本ではどうなの?

 

という以前に祖先がわからないんですね。しっかり調査したら、もしかすると張飛(ちょうひ)張遼(ちょうりょう)の祖先は同じなのかもしれません。

 

宴会をして劉備をもてなす劉璋

 

姓が「劉」であれば皇族の系統なので、祖先を辿っていくと結びつくでしょう。つまり劉備も劉璋も同族といえば同族なのです。同族から領地を奪うとはひどい話ですね。

 

 

日本だと、源氏や平氏の子孫は同族かわかりやすいです。源氏といえば「徳川家」「武田家」「足利家」などでしょうか。平氏では「北条家」「織田家」「伊勢家」があげられます。

 

他にも藤原家も式家や北家などに枝分かれしていきますが、祖先は同じ藤原鎌足(中臣鎌足)ですね。藤原家はさらに「近衛家」「九条家」などに分かれていきます。

 

このあたりは比較的最近の時代なので血統が明らかです。しかし三国志となると2000年ちかく昔のことなので血統が不明な点も多いですね。

 

黄忠(こうちゅう)と黄蓋(こうがい)は同族?

 

蜀の五虎大将の「黄忠」と呉の大黒柱の「黄蓋」。二人に共通するイメージは「老人っぽい」「頑固っぽい」という点ではないでしょうか。三国志初心者は二人の区別がほとんどついていないかもしれませんね。

 

二人は果たして同族なのでしょうか?

タイムマシンでもない限り(もしくはDNA鑑定でもしない限り)、同族かどうかはわかりません。ただ、どこにも同族だとは記されていませんので、親戚関係ではなかったと思われます。物語的には二人に何かしらの繋がりがあると面白いですが、残念ながら見当たらないですね。

 

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黄忠と黄蓋には共通点はあるのか

 

しかし共通点がまったくないというわけではありません。「老黄忠」というあだ名を持つ黄忠は弓の名手といわれています(あくまでも三国志演義の脚色ですが)。

 

 

「定軍山の戦い」では曹操軍の総大将・夏侯淵を討った功労者です。

 

むち打ちで裁かれる黄蓋

 

一方の黄蓋はあの有名な「赤壁の戦い」で「苦肉の策」を用いて曹操を破った功労者です。偽りの投降の際に乗っている船に火を放ち、そのまま曹操の船団に突っ込んだのは有名な話です。

 

黄蓋は英語ではHuang Gaiですね。つまり、曹操軍を破ったという点において共通項があるわけです。曹操側にしてみれば「黄」の姓は疫病神に見えたかもしれませんね。後漢のシンボルカラーが「赤」であり、五行思想では次に天下を治めるのは「黄」になりますから、曹操としてはそれでも「黄」を邪険にはできなかったかもしれません。

 

関連記事:三国志の故事成語『苦肉の策』(くにくのさく)って何?

関連記事;赤壁の戦いは計略の宝庫

 

三国志ライター ろひもと理穂のまとめ・三国志

 

実は二人は、出身が「荊州」という点で共通しています。黄忠は荊州の「南陽郡」出身ですし、黄蓋は荊州の「零陵郡」出身です。南陽と零陵では同じ荊州でも東京都と大阪府以上離れていますが、もしかしたら祖先を辿っていくと同じ祖先に行き着くのかもしれません。

 

どうなんでしょうか。はっきりと二人の違いがわからない方は、赤壁の戦いまでに活躍したのが呉の黄蓋、その後に活躍するのが蜀の黄忠だという区別するとわかりやすいのではないでしょうか。

 

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赤壁の戦い

 

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ろひもと理穂

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。 自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください! 好きな歴史人物: 曹操、蒲生氏郷

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