劉備にカリスマ性があったの?三国志の英雄・劉備玄徳のカリスマの真実

2018年5月29日


 

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カリスマという言葉はもはや一般化しています。

「カリスマ美容師」だったり「カリスマモデル」だったり、

現代には多くのカリスマが存在しています。

 

三国志の中の登場人物でカリスマといえば誰でしょうか?

答えは無数にあるでしょうが、

やはり「劉備玄徳(りゅうびげんとく)」という名前が多く聞かれることが予想されます。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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戦場における劉備のカリスマ性

 

カリスマというのは、常人にはない資質のことです。

ごく平凡な武勇、並みの知力、ありふれた政治力や指導力をカリスマとは呼びません。

 

それでは劉備は戦場において、並外れた武勇や用兵術を披露しているのでしょうか。

数多くの戦場を駆け巡り、

戦乱の中を生き抜いたのですから劉備の武勇は人並み以上だったと考えられますが、

義弟の関羽(かんう)張飛(ちょうひ)に比べると劣ります。

 

というより、徐州と妻子を曹操(そうそう)に奪われ、夷陵の戦いでは若い陸遜(りくそん)に大敗しています。

戦上手という印象はほとんどないでしょう。

 

戦闘力という面では、劉備にカリスマ性は感じられません。

 

戦略・智謀における劉備のカリスマ性

 

長く戦略面で劉備が苦労していたのは有名な話です。

そのために劉備はいつまで経っても固定した本拠地を持たず、各地を転戦することになります。

 

そんな大きな弱点をカバーしたのが諸葛孔明(しょかつこうめい)でしょう。

法正(ほうせい)もまた大いに活躍しています。

特に諸葛孔明が提案した天下三分の計は、蜀建国の起点となっています。

 

戦略や智謀面で劉備が活躍したシーンはほとんどありませんね。

戦略・智謀という側面でも劉備にカリスマ性は感じられないということです。

 

まだ漢王朝で消耗してるの?

まだ漢王朝で消耗しているの  

 

政治・統率における劉備のカリスマ性

 

劉備の特筆すべき能力は、その包容力でしょう。人望であり、仁徳でもあります

献帝(けんてい)をはじめとし、多くの英雄・武将らが劉備を慕っています。

曹操が警戒したのも、そんな劉備の器の大きさだったのではないでしょうか。

 

特に三国志演義では主役である劉備の仁徳がクローズアップされています。

曹操の徐州大虐殺に対して陶謙(とうけん)の援軍に馳せ参じ、

民衆の支持もあって陶謙没後の徐州治世を引き継ぎました。

 

留守役の張飛が酔って徐州を呂布(りょふ)に奪われた際には、

劉備の妻子も置き去りにしてきた張飛が恥じて自害するのを泣いて止めています。

 

荊州の新野を曹操に攻められた際には南に逃れますが、

劉備の徳を慕って多くの住民も共に故郷を捨てました。

劉備の妻子が曹操の追撃を受け、

その混乱の中から劉禅(りゅうぜん)を救出してきた趙雲(ちょううん)に対し、

我が子よりも趙雲が生還してきたことを喜んでいます

 

家族以上に家臣や民衆を大切にする劉備の性格が強調されています。

政治力や統率力という面では、劉備にもカリスマ性が感じられます

 

これだけ多くの英雄に受け入れられてきた劉備の魅力

 

君主たる器量の面でカリスマ性を発揮した劉備が、

人を惹きつける魅力に溢れていたことは間違いないでしょう。

 

公孫瓚(こうそんさん)、陶謙、曹操、袁紹(えんしょう)劉表(りゅうひょう)劉璋(りゅうしょう)という数多の群雄に客将として厚遇されています。

あくまでも客将的な扱いで、常に自立心が強かった点も見逃せません。

 

高い志を説いて個性豊かな人材をまとめ、多くの英雄と交流し、

いくら敗戦を重ねても諦めることなく成長し続けた劉備は、

やはり常人にはない資質の持ち主だったのではないでしょうか。

   

三国志ライターろひもとの独り言

 

新しい環境や目標にチャレンジしていくことを、

コンフォートゾーンを脱してラーニングゾーンに踏み込むといいます。

人間が健全に成長していく理想の姿です。

 

劉備の生涯は、絶えずラーニングゾーンへ果敢に飛び込む行動力に満ち溢れています。

安全でリスクの低いマンネリ化したコンフォートゾーンに甘んじることがほとんどありません。

荊州に滞在した際にはコンフォートゾーンに身を置いていることを嘆きました。

 

「髀肉の嘆」は、劉備の有名なエピソードであり、象徴的な話です。

ブレない志で貪欲にチャレンジし続けたその生き様こそが、

劉備がカリスマであることの証なのではないでしょうか。

 

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