魏の名将といわれたら誰が最初に思い浮かぶでしょうか?
やはり一番人気の夏侯惇?
それとも呉を震え上がらせた泣く子も黙る張遼?
数だけではなく魅力も多い魏の武将たちですが、
皆さんに忘れてほしくない隠れた名将がいるのです。
その名将の名は、朱霊と言います。
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この記事の目次
家族の命より忠誠心!
朱霊は元々袁紹配下の将軍でした。
しかし、彼の忠誠心が試されるある事件が起こります。
季雍という人物が公孫瓚と共に袁紹に対し反乱を起こし、
袁紹は季雍に対抗すべく朱霊を派遣。
しかし、季雍に与していた姑息な公孫瓚は、
朱霊の母親と弟を城壁の上に引っ張り出してきて
「ほぉ~ら、お前さんの大切な家族がこの城の中にいるんだぞぉ~?
お前もこっちに来いよぉ~?
一緒に袁紹をぶっ殺そうぜぇ~?」
と強引に勧誘して来たのです。
どうする、朱霊…!
家族を人質にとられたら、もう降るしかないだろうと誰もが思っていました。
ところが、朱霊の答えは意外や意外、
「私は袁紹様にこの身を捧げると決めたのだ、もう家族を顧みることなどできない!」
と叫んで突撃したのでした。
その後なんとか季雍を捕らえはしたものの、朱霊は家族を失ってしまいます。
朱霊もそのことは覚悟していたでしょうし、
袁紹への忠義を果たせて満足していたことでしょう。
あの忠誠心をポッキリ折ってしまった曹操様
「一生袁紹についていく!」
そんなことを思っていたはずの朱霊でしたが、
その志はある人によって塗り替えられることになります。
ある日、朱霊は袁紹から曹操の応援に向かうように命じられます。
怒り狂って徐州で大殺戮を繰り広げていました。
その戦いに参加して武功を立てた朱霊、
何と陶謙討伐が終わった後にちゃっかり曹操軍に仲間入り。
家族を見捨ててまで袁紹に付き従ったあの忠誠心は何処に…!?
この朱霊の心変わりについて、
「曹操のカリスマ性に惚れた」ということになっています。
えぇ…徐州で大虐殺をした男のカリスマ性?
と思う人も少なくないでしょう。
しかし、朱霊はもしかすると、身内が殺された曹操に対し強いシンパシーを感じ、
また、その怒りのパワーでこれほどの人を動かしたという
自分とは異なるその力強さに惚れ込んだのかもしれません。
曹操にも期待されていた
曹操に惚れ込んだという朱霊ですが、曹操もまた彼の将来に期待していたようです。
曹操は冀州平定を遂げた後、その冀州から得た人材を朱霊に持たせて
許都の南方の守備につかせました。
その際、曹操は
「荒くれ者で不満タラタラの冀州兵の扱いにはくれぐれも気をつけるように」
と朱霊に対して念を押していたといいます。
朱霊もそのことは十分に理解していたはずなのですが、
結局冀州兵に謀反を起こされてしまいます。
これを平らげた後、自分の不徳が致した結果であると強く感じた朱霊は、
すぐに曹操に陳謝しました。
朱霊から謝罪の言葉を受け取った曹操は、
朱霊の謙虚な態度に感じるものがあったようで、
その昔、漢王朝復活を遂げた光武帝の右腕と称された鄧禹が
宗歆・馮愔の権力争いに悩まされ、
その上馮愔に謀反を起こされたことを引き合いに出して慰めたのでした。
曹操は朱霊が自分の右腕にもなり得る存在であると考えていたのでしょうね。
朱霊、曹操の期待に応えて奮戦する
自分の過ちを寛大な態度で許し、
むしろ鄧禹にまでたとえて期待を寄せてくれていることを示してくれた曹操に対し、
「もっと曹操様のために頑張ろう!」と決意を新たにした朱霊。
彼はその後曹操の期待に応えるよう武功をあげ続けます。
荊州攻略戦では、魏の名将として名高い于禁や張遼、張郃らと肩を並べ、
暴れ馬・馬超を徐晃と共に抑え、夏侯淵のもとで南山の劉雄を撃破し、
張魯討伐に従軍する際に立ち塞がった異民族を張郃と共に撃破するなど、
朱霊は主要な戦いにおいて目の覚めるような活躍ぶりを見せたのでした。
曹丕・曹叡にも仕える
曹操が亡くなって曹丕が文帝として即位すると、
朱霊はその功績を称えられて鄃侯に封じられました。
曹丕は朱霊について、
周の宣王に仕えた方叔や邵虎を超えるほどの賢臣であり、
その功績は周勃・灌嬰以上のものであると讃えています。
朱霊は曹丕に仕えた際にも呉との戦などで大いに貢献したと言います。
その後は史書から姿を消しますが、曹叡の代まで仕えたとのことでした。
実は曹操に恨まれていた…?
魏に大きく貢献した朱霊ですが、曹操に恨まれていたという話もチラホラ…。
『三国志演義』でも、曹操が劉備の袁術討伐についていくよう命じたのに、
劉備に言われてすごすごと帰ってきて曹操に処刑されかけています。
三国志ライターchopsticksの独り言
なぜ朱霊が恨まれたのかはわからず、その真意すら不明ですが、
これほどの名将を曹操が恨んでいたとは思えませんよね。
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