大器晩成とはこのことか!三代にわたって魏に仕えた朱霊の魅力に迫る!

2018年8月17日


 

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朱霊

 

魏の名将といわれたら誰が最初に思い浮かぶでしょうか?

やはり一番人気の夏侯惇(かこうとん)

それとも呉を震え上がらせた泣く子も黙る張遼(ちょうりょう)

負傷していたとはいえ武神・関羽(かんう)をも破った徐晃(じょこう)

数だけではなく魅力も多い魏の武将たちですが、

皆さんに忘れてほしくない隠れた名将がいるのです。

 

その名将の名は、朱霊(しゅれい)と言います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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家族の命より忠誠心!

袁紹と袁術

 

朱霊は元々袁紹(えんしょう)配下の将軍でした。

しかし、彼の忠誠心が試されるある事件が起こります。

季雍(きよう)という人物が公孫瓚(こうそんさん)と共に袁紹に対し反乱を起こし、

袁紹は季雍に対抗すべく朱霊を派遣。

 

しかし、季雍に与していた姑息な公孫瓚は、

朱霊の母親と弟を城壁の上に引っ張り出してきて

「ほぉ~ら、お前さんの大切な家族がこの城の中にいるんだぞぉ~?

お前もこっちに来いよぉ~?

一緒に袁紹をぶっ殺そうぜぇ~?」

と強引に勧誘して来たのです。

公孫瓚

 

どうする、朱霊…!

家族を人質にとられたら、もう降るしかないだろうと誰もが思っていました。

 

ところが、朱霊の答えは意外や意外、

私は袁紹様にこの身を捧げると決めたのだ、もう家族を顧みることなどできない!

と叫んで突撃したのでした。

 

その後なんとか季雍を捕らえはしたものの、朱霊は家族を失ってしまいます。

朱霊もそのことは覚悟していたでしょうし、

袁紹への忠義を果たせて満足していたことでしょう。

 



あの忠誠心をポッキリ折ってしまった曹操様

曹操

 

「一生袁紹についていく!」

そんなことを思っていたはずの朱霊でしたが、

その志はある人によって塗り替えられることになります。

 

ある日、朱霊は袁紹から曹操(そうそう)の応援に向かうように命じられます。

その頃曹操は父・曹嵩(そうすう)やその他一族を陶謙(とうけん)に討たれたことで

怒り狂って徐州で大殺戮を繰り広げていました。

 

その戦いに参加して武功を立てた朱霊、

何と陶謙討伐が終わった後にちゃっかり曹操軍に仲間入り。

家族を見捨ててまで袁紹に付き従ったあの忠誠心は何処に…!?

 

この朱霊の心変わりについて、

「曹操のカリスマ性に惚れた」ということになっています。

 

えぇ…徐州で大虐殺をした男のカリスマ性?

と思う人も少なくないでしょう。

 

しかし、朱霊はもしかすると、身内が殺された曹操に対し強いシンパシーを感じ、

また、その怒りのパワーでこれほどの人を動かしたという

自分とは異なるその力強さに惚れ込んだのかもしれません。

 

曹操孟徳

 

曹操にも期待されていた

期待される曹操

 

曹操に惚れ込んだという朱霊ですが、曹操もまた彼の将来に期待していたようです

曹操は冀州平定を遂げた後、その冀州から得た人材を朱霊に持たせて

許都の南方の守備につかせました。

 

その際、曹操は

「荒くれ者で不満タラタラの冀州兵の扱いにはくれぐれも気をつけるように」

と朱霊に対して念を押していたといいます。

 

朱霊もそのことは十分に理解していたはずなのですが、

結局冀州兵に謀反を起こされてしまいます。

これを平らげた後、自分の不徳が致した結果であると強く感じた朱霊は、

すぐに曹操に陳謝しました。

 

朱霊から謝罪の言葉を受け取った曹操は、

朱霊の謙虚な態度に感じるものがあったようで、

その昔、漢王朝復活を遂げた光武帝(こうぶてい)の右腕と称された鄧禹(とうう)

宗歆(そうこう)馮愔(ふういん)の権力争いに悩まされ、

その上馮愔に謀反を起こされたことを引き合いに出して慰めたのでした。

 

曹操は朱霊が自分の右腕にもなり得る存在であると考えていたのでしょうね。

 

朱霊、曹操の期待に応えて奮戦する

馬超

 

自分の過ちを寛大な態度で許し、

むしろ鄧禹にまでたとえて期待を寄せてくれていることを示してくれた曹操に対し、

「もっと曹操様のために頑張ろう!」と決意を新たにした朱霊。

彼はその後曹操の期待に応えるよう武功をあげ続けます。

 

荊州攻略戦では、魏の名将として名高い于禁(うきん)や張遼、張郃(ちょうこう)らと肩を並べ、

暴れ馬・馬超(ばちょう)を徐晃と共に抑え、夏侯淵(かこうえん)のもとで南山の劉雄(りゅうゆう)を撃破し、

張魯(ちょうろ)討伐に従軍する際に立ち塞がった異民族を張郃と共に撃破するなど、

朱霊は主要な戦いにおいて目の覚めるような活躍ぶりを見せたのでした

 

曹丕・曹叡にも仕える

曹丕

 

曹操が亡くなって曹丕(そうひ)文帝(ぶんてい)として即位すると、

朱霊はその功績を称えられて鄃侯に封じられました。

 

曹丕は朱霊について、

周の(せんおう)に仕えた方叔や邵虎を超えるほどの賢臣であり、

その功績は周勃(しゅうぼつ)灌嬰(かんえい)以上のものであると讃えています。

 

朱霊は曹丕に仕えた際にも呉との戦などで大いに貢献したと言います。

その後は史書から姿を消しますが、曹叡(そうえい)の代まで仕えたとのことでした。

 

実は曹操に恨まれていた…?

実は曹操に恨まれていた

 

魏に大きく貢献した朱霊ですが、曹操に恨まれていたという話もチラホラ…。

三国志演義』でも、曹操が劉備(りゅうび)袁術(えんじゅつ)討伐についていくよう命じたのに、

劉備に言われてすごすごと帰ってきて曹操に処刑されかけています。

   

三国志ライターchopsticksの独り言

 

なぜ朱霊が恨まれたのかはわからず、その真意すら不明ですが、

これほどの名将を曹操が恨んでいたとは思えませんよね。

 

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魏のマイナー武将列伝

 
 

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