関羽に討たれた顔良とはどんな人だったの?

2019年9月3日


 

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漢の顔良(がんりょう)

 

顔良(がんりょう)は後漢(25年~220年)末期の将軍です。袁紹(えんしょう)配下の猛将として有名であり、建安5年(200年)の白馬の戦い(はくばのたたかい
)
曹操(そうそう)軍と戦いました。

 

顔良を討ち取る関羽

 

しかし当時、曹操の客将だった関羽に敗れて討ち死にする最期をとげます。顔良は小説『三国志演義』では一騎当千の人物として描かれていますが、史実の彼は史料が少なくその人物像が把握しずらいです。

 

そこで今回は史実と小説両面から顔良について解説してみようと思います。

 

自称・皇帝
当記事は、
関羽 顔良」
などのワードで検索する人にもオススメ♪

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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小説『三国志演義』での活躍

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

まずは小説からスタート!顔良は建安5年(200年)に白馬の戦いで先鋒を務めます。

 

漢宋憲(そうけん)

 

この時、あまりの強さに曹操軍は苦しめられました。曹操軍からは元・呂布(りょふ)配下の宋憲(そうけん
)
が挑みますがすぐに討たれます。宋憲が死ぬとやはり元・呂布配下の魏続(ぎぞく)が顔良と闘いますが瞬殺!

 

呂布を裏切る魏続(ぎぞく)と宋憲(そうけん)

 

2人のあっけない最期はおそらく主人であった呂布を裏切って投降した天罰であると『三国志演義』の著者の羅貫中は言いたいのでしょう。話が脱線したので戻します。

 

徐晃

 

曹操軍からは徐晃(じょこう)が参戦!これで勝ったも同然・・・・・・にはなりません。なんと徐晃まで顔良に敗北して逃げ帰る始末!

 

曹操は関羽をGET

 

さすがの曹操も旗色が悪くなったので、1人の男に出陣をお願いします。それは関羽でした。関羽は当時、曹操に敗北して投降していました。もちろん真からの投降ではありません。

 

関羽が好きすぎる曹操

 

劉備の妻の保護と失踪した劉備の消息が判明したらすぐに立ち去ること条件に付けていました。一方、関羽もさすがに条件だけを押し付けることは気が引けたのか手柄を立てて立ち去ろうと考えます。その話を聞いた曹操は感心しましたが、関羽を手放すことを惜しく思います。

 

顔良に対しての苦戦はそんな時でした。曹操当初、関羽を出陣させることに躊躇しますが、関羽が敗北すれば大した男ではなかったと踏ん切りを付けれると考えを改めます。さて、出陣した関羽は顔良に立ち向かっていきます。

 

顔良と関羽

 

負けじと顔良も応戦。勝負の結果は、関羽の青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう
)
の一撃で顔良はあっけなく討たれます。あれだけ曹操軍を苦戦させていた顔良はどこに行ったのやら・・・・・・・

 

関羽

 

とにかく関羽のおかげで曹操は窮地を救われました。

 

 

 



敵からも味方からも非難される顔良

顔良と文醜

 

正史『三国志』によると顔良は同僚の文醜(ぶんしゅう
)
と一緒に三軍を統率する人物と開戦前に孔融(こうゆう)から評価されていました。一方、荀彧(じゅんいく)は孔融の評価に対して「顔良と文醜は匹夫の勇ですね。1回の戦いで生け捕れますよ」と反論しています。

 

荀彧は短期間でしたが袁紹に仕えていたことがありました。そのため顔良についての情報は持っていたはずと考えられます。

「でも、荀彧はアンチ袁紹だから顔良のことを悪く言うのは当たり前じゃない?」と思う人もいるかもしれません。

 

沮授

 

確かに短期間しか仕えていない1人の証言だったら、信ぴょう性はゼロでしょう。しかしながら、顔良のことを批判的に見ているのは荀彧1人ではありません。それは袁紹配下の沮授(そじゅ
)
です。

 

袁紹に顔良の活用を止める沮授

 

沮授は出陣前に袁紹に「顔良は心根が狭いので単独で軍を任せてはいけません」と伝えていました。袁紹もこれには素直に従っており、郭図(かくと
)
淳于瓊(じゅんうけい
)
を付けます。沮授の意見にあっさり従ったところを見ると、袁紹も顔良の性格を理解していたと推測されます。

 

袁紹を説得しようとする沮授

 

おそらく顔良はリーダー・シップを発揮するタイプの武将ではなく、協力プレイで戦うタイプの武将なのでしょう。残念なことに沮授の作戦は曹操に見破られてしまい、郭図・淳于瓊は楽進・于禁の足止め作戦で動けなくなりました。

 

孤立した顔良は身動きがとれなくなり、そこを関羽に襲撃されて討たれました。ちなみに、なぜ関羽が顔良の位置を特定出来たのかと言いますと、パラソルのような戦車の天蓋が関羽の格好の目印になったのでした。

 


 

三国志ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

以上が顔良に関しての解説でした。顔良をネット検索したら、ネット上では字面から顔良を「イケメン」、文醜を「ブサメン」と呼んでいるようです。文醜が可哀そう・・・・・・

 

PCゲームの「三極姫4」では両名ともイケメン男子として描かれています。筆者はプレイしましたが、かなり強くて夏侯惇夏侯淵曹丕・張遼を倒されてしまい、曹操単独で倒したことだけは覚えています。仲間にしたら、頼もしい存在となりました。

 

同じくPCゲームの「真・恋姫無双」に登場する顔良は可愛らしい少女として登場します。こちらは未プレイです。デザインの好みについて問われると、筆者の好みは「真・恋姫無双」の顔良です。

 

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