広告

孫策が袁術のもとから離れたのは本当に皇帝になったのが原因なの?

2021年1月12日


はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

袁術、孫堅(犬)

 

父である孫堅(そんけん)を突如亡くし、袁術(えんじゅつ)によって孫堅の部隊は吸収されてしまう。

 

呉の小覇王・孫策

 

十七歳であった孫策(そんさく)はいずれ孫家を復興することを望みながら、袁術の元で力を蓄え反旗を翻す日を待つ……そしてその日はついにやってきた!

 

孫策は皇帝・袁術について語る

 

となるのが孫策の天下への名乗りの定番ですが、実は孫策は袁術を裏切りたくなかった?

 

そのきっかけはあの皇帝となった瞬間!?

ということで今回は袁術と孫策の縁の切れ目について、妄想たっぷりでお届けします。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



孫策の臥薪嘗胆

袁術と孫堅

 

まず確認しておきたいのが孫策が袁術の元を離れるまで。始まりは孫策の父である孫堅が、袁紹(えんしょう)と袁術対立の際に袁術側に付いたこと。

 

孫堅逝く

 

しかし孫堅は戦闘の最中、黄祖(こうそ)によって殺害されてしまいます。孫堅の部隊は解散され、袁術軍に吸収。このため孫策は袁術庇護の元、雌伏(しふく)の時を生きることになりました。

 

山越族から信服される黄蓋

 

そして194年、袁術に対し父の軍の返還を求め、1000人ほどの兵を取り戻します。この中に黄蓋(こうがい)韓当(かんとう)程普(ていふ)といった孫堅股肱(ここう)の配下たちがいたのでした。

 

呉の勢力を率いる孫策

 

197年に孫策は独立、この際に一時袁術の配下にいた周瑜(しゅうゆ)魯粛(ろしゅく)を連れて駆けつけます。こうして孫策の飛躍が始まるのです。

 

関連記事:頑張れ、孫策!独立への道のりを解説

関連記事:孫策は嫉妬深く陰険な人物だった?

 

袁術の躍進

袁術

 

袁術は名家袁家の子であり、袁紹とは同族に当たります。

 

橋瑁が決起文を送り反董卓連合軍結成

 

が、反董卓(とうたく)連合軍時に袁術と袁紹は対立していき、曹操(そうそう)にボコボコにされたり、徐州(じょしゅう)に侵攻しようとしたら陶謙(とうけん)が死んで劉備(りゅうび)に取られて敵対されたり、何気に呂布(りょふ)をそそのかせて劉備を徐州から追い出したりと頭の回ることもやっていく中、皇室の権力はどんどん落ちていきます。

 

袁術君08 コンフォートゾーン」から抜け出す05 董卓

 

そもそも黄巾(こうきん)の乱が起こるほどに乱れた世、董卓らの暴虐、そこに196年に献帝を曹操が保護したことで漢王朝の権力は、実際には「曹操の権力」になってしまいました。

 

メタ認知について学ぶ袁術

 

ここで袁術、漢王朝の天命ここに尽きたと判断。そこまでは良かったとしてもとんでもないことをやらかします。

 

関連記事:これは意外!最初は漢王朝を庇っていた袁術

関連記事:【意外な事実】袁術は本当に伝国の玉璽を持っていた!

 

袁術、皇帝になる(自称)

袁術

 

197年正月、袁紹は寿春(じゅしゅん)を都と定めて(ちゅう)王朝を起こし、皇帝となりました。しかし皇帝とは本来、天に定められし尊き身分の者。実績があるから、身分がちょっと良いからでは皇帝になんか曹操……じゃなかった早々なれません。

 

献帝を保護する曹操

 

もっと言えばこの時代、献帝(けんてい)という皇帝が曹操に保護されて、きちんと生きているのです。

 

袁術

 

結果として周囲からは大反発を喰らい、挙句の果てに重税に次ぐ重税で民衆からも大顰蹙。袁術は滅びへの道をスキップして進んでいくことになったのでした。

 

関連記事:閻象とはどんな人?袁術の暴挙を止めようとした恐れを知らない人物

関連記事:すばらしきかな袁術!袁術のグッドな逸話を一挙公開

 

【次のページに続きます】

 

次のページへ >

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
セン

セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

-三国志の雑学
-,