関羽は項羽の生まれ変わり?2人の類似点を検証




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項羽

 

中国で最強の武将は誰?という話題を出したら、関羽(かんう)項羽(こうう)の名前は間違いなく挙がるでしょう。

 

 

字面も似ているこの2人は強さや生きた時代背景、死に様など似ている点が多く見られます。生きた時代は400年以上離れていますが、もしかしたら生まれ変わり?なんて考えるのも歴史の醍醐味ですよね。

 

というわけで今回は関羽と項羽の似ている点について紹介していきたいと思います。




関羽はどんな人物?

はじめてのプロ野球 関羽

 

関羽は字を雲長(うんちょう)といい後漢末期から三国時代に活躍した人物です。

 

春秋左氏伝(書類)

 

河東郡解県(かとうぐんかいけん)(現:山西省)の出身で蜀漢の初代皇帝・劉備(りゅうび)に古くから仕え、武力の高さもさることながら春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)を愛読していたなど教養があることでも知られています。

 

父・関羽とともに亡くなる関平

 

荊州(けいしゅう)(現:湖北省)の曹操(そうそう)領に侵攻した際に戦に敗れ、背後を同盟関係にあった孫権(そんけん)軍に奪われたために最期はわずかの兵で麦城(ばくじょう)に籠城するも孫権によって処刑されました。

 

三国志演義_書類

 

その死後は三国志演義などの小説で戦上手であった点や忠誠心の高さを強調したエピソードが広まり、民衆の中で高い人気を獲得。神様として祀られています。

 

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項羽はどんな人物?

項羽(はじめての三国志)

 

項羽は「羽」が字で、姓+名の表記では項籍(こうせき)となります。

 

項燕

 

出身は不明ですが、春秋戦国時代末期の楚国(そこく)の大将軍・項燕(こうえん)を祖父に持ち、巨躯の持ち主で力も強かった人物です。幼い頃に文字や剣を習うも上達せず、万人を相手にする方法を学びたいと言って兵法を教わります。

 

劉邦と項羽

 

これも概略だけで投げ出しますが、秦王朝末期の反乱にて頭角を表し、後に西楚(せいそ)の覇王を称します。漢王を称した劉邦(りゅうほう)との戦い敗れた後は、わずかの兵とともに追手と戦いますが、敵の中に旧知の呂馬童(りょばどう)を見つけると自身の首と引き換えに恩賞をもらうようにと告げ自害しました。

 

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関羽と項羽は戦闘力が高い

項羽

 

関羽と項羽に共通して言えるのは個人の戦闘能力の高さです。

 

顔良と関羽

 

関羽は曹操の客将となっていた際、官渡(かんと)の戦いに従軍して敵将の顔良(がんりょう)を自らの手で討ち取っています。

 

漢の顔良(がんりょう)

 

顔良は袁紹(えんしょう)軍の筆頭とされるほど名高い武将だったので、決して弱い相手ではなかったはず。

 

ブチギレる項羽

 

項羽は身長が2m60cmを超え、さらに怪力の持ち主であり、最期の戦いでは一人で数百人を討ったとも言われています。また、青銅製の武器が主流の時代でしたが、青銅は強度と切れ味が表裏一体。強度を取れば切れず、切れ味を優先すれば脆くなります。こうした武器で敵を大量に殺すのは戦闘力が高くなければ不可能でしょう。

 

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関羽と項羽は戦乱で頭角を表した

関羽、劉備、張飛の桃園三兄弟

 

関羽は後漢末期の黄巾(こうきん)の乱の際に劉備の配下となって名声を高めていきます。項羽も同じく秦末期の陳勝(ちんしょう)呉広(ごこう)の乱に乗じて叔父の項梁(こうりょう)に従って挙兵しました。

 

項羽と劉邦

 

ただ、大きく異なるのは関羽が漢王朝のために反乱鎮圧を目的として戦い、その後も漢王朝の復興を掲げる劉備に従ったのに対し、項羽は反乱軍側で秦王朝を滅ぼし、さらに楚の懐王を廃して自らが王になっている点です。

 

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関羽と項羽は戦上手

赤兎馬を乗り回す関羽

 

異なる時代に存在した武将の戦の得手不得手をどのようにして比較するかは難しい問題ですが、一般的にこの2人は戦が上手かったとされています。

 

関羽

 

関羽は正史において大きな戦に勝ったという記述はありませんが、樊城(はんじょう)の戦いの前に曹操領内で反乱を起こさせていますし、大雨による河川の氾濫に乗じて攻め込むなど知略を使って戦う印象が強いです。

 

三国志の武器 木慢 関羽

 

戦った相手も曹操や孫権配下の名だたる武将ばかりですが、大敗をしたという記録もありません。

 

章邯(しょうかん)

 

項羽は逆に秦の将軍であった章邯(しょうかん)が率いる20万の大軍を破り、その後も連戦連勝しています。ただ、知略に長けていたわけではなく、兵を統率する能力が以上に高かったという印象を受けます。

 

進軍する兵士a(モブ用)

 

なぜなら当時の軍は各地の兵(農民)の混成軍です。出身や風習の異なる人たちを一手にまとめるには高い統率力がなくてはいけません。

 

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