司馬亮とはどんな人?八王の乱の先陣を切った犠牲者

2021年3月9日


 

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炎上する城a(モブ)

 

今回は三国志では中々馴染みのない(はちおう)の乱について、そしてその八王の乱の八人の王の一人、司馬亮(しばりょう)についてご紹介していこうと思います。良くかみ砕くと「八王の乱で逝かれたメンバーを紹介していくぜ!第一の王!司馬亮!」ということですね。

 

中々壮絶な終焉を迎える人物なので、八王の乱の口火としてお楽しみ下さい。

※注意※胃もたれするほど「司馬」が出てきます。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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汝南王・司馬亮

司馬亮

 

司馬亮は司馬懿(しばい)の三男です。司馬師(しばし)司馬昭(しばしょう)は異母兄で、同母弟には司馬伷(しばちゅう)司馬京(しばけい)司馬駿(しばしゅん)

 

司馬倫

 

また異母弟にはこちらもいずれご紹介する八王のメンバー、趙王(ちょうおう)司馬倫(しばりん)がいます。

 

晋王朝を作った司馬炎

 

晋の皇帝司馬炎(しばえん)は甥っ子に当たる人物ですね。

 

諸葛誕

 

司馬一族としてそれなりの地位で腕を振るっていましたが、諸葛誕(しょかつたん)の反乱で失態を犯して降格されていました。しかし晋王朝が開かれる頃には復権しており、司馬一族の長老として扱われます。そして277年8月、汝南王(じょなんおう)に改封され、鎮南(ちんなん)大将軍に任じられました。

 

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司馬炎、崩御

病で亡くなる司馬炎

 

290年、武帝司馬炎が崩御します。

 

司馬衷を補佐する外戚の楊駿

 

司馬炎は病に倒れた際に皇太子・司馬衷(しばちゅう)の補佐を司馬亮と外戚の楊駿(ようしゅん)に任せると遺言します。

 

楊駿

 

楊駿は姪が司馬炎の皇后になり、その死の後は娘が皇后になったこともあり、皇帝の外戚として専横(せんおう)を繰り返し、自分を称える者たちに爵位を与えるなど好き放題していました。こんな中で司馬炎が倒れたのです。

 

司馬炎の遺言を改ざんする楊駿

 

楊駿は秘密裏に司馬炎の遺言を改竄(かいざん)し、権力を握ろうと画策しました。それだけでは飽き足らず、司馬亮暗殺も企みます。

 

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許昌に逃れる

司馬亮暗殺も企みる楊駿

 

しかし楊駿の企みを察知した司馬亮は許昌(きょしょう)に逃れます。この際にある人が「楊駿を討つべきでは」と進言をするものの、司馬亮はこの行動を起こすことはありませんでした。

 

こうして楊駿は司馬亮を宮中から追い出し、新皇帝司馬衷の権力をかさにやりたい放題を行います。楊駿は自分の人気のなさを理解していたのか、爵位のバラマキで人心を得ようとしますがこれは反感と混乱を招いただけでした。

 

そうして混乱する世の中に、ある人物が立ち上がりました。

 

賈南風

 

そう、賈南風(かなんぷう)ですね。

 

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賈南風、楚王と立つ

賈南風の悪巧み計画にのる司馬瑋

 

賈南風は楊駿を除くようにと司馬亮に働きかけますが、司馬亮は動きませんでした。ならばと賈南風が手を組んだのが司馬衷の弟、司馬炎の五男である楚王(そおう)司馬瑋(しばい)です。

 

そうして291年3月、クーデターが起こります。

 

楊駿たちを誅殺する賈南風

 

楊駿とその三族、側近の者たちは誅殺され、司馬炎の皇后であった楊皇后(ようこうごう)も庶人にまで落とされ、監禁後に餓死させられました。

 

嫉妬狂う賈南風

 

一連の流れが専横を止めさせようと働きかけたなら凄い行動ですが、賈南風が行動を起こしたことが「自分が専横するのに邪魔」「逆恨み」となっているので別の意味で凄さを感じさせます。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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