関羽と言えば武勇に優れ、春秋左氏伝を暗喩したという文武に優れた人物。劉備に良く仕え、良く支え、その死後は神とまで崇められた三国志でも大人気者の髯がとてもかっちょいい人。
しかしその一方で性格に難があった、三国志演義で過剰に盛り上げられている、という意見もあります。今回はそんな関羽を、僭越ながら筆者なりに評価をまとめてみたいと思います。
関羽の武勇
まずは関羽の武勇に関して(シャレではない)見ていきましょう。
正史では呂布討伐後に劉備は曹操と対立して一時行方不明になりますが、この時に関羽は劉備の妻を保護して曹操の元に身を寄せていました。
サラッと書かれていますが顔良は袁紹軍きっての武将であり、曹操軍の徐晃が相手をしても勝てなかった相手、それを討ち取ったのですからかなりの武力を持っていたと言えるでしょう。
その後は曹操に厚遇されるも劉備の生存報告を聞くと駆けつけ、ここに忠義の強さも見せています。
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関羽による荊州統治
その後、赤壁の戦いを経て関羽は荊州の統治を任されます。荊州は劉備に取って呉、そして魏に対する場所であり、最前線。ここで関羽は曹操、孫権に睨みを利かせる存在となります。
215年に魯粛、呂蒙が荊州攻めをした際にはあくまでけん制に留め、後に北進した際には曹操が許都からの遷都を考えるほどに警戒されていました。関羽の戦いに関しては各国が警戒するほどの能力を持っていたことが良く分かりますね。
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関羽は文武に通じる
そんな関羽は文武両道、学問も疎かにはしていませんでした。それが良く分かるのが、関羽は「春秋左氏伝」を好んでよく読み、ほぼ暗誦できるという記録です。春秋左氏伝とは物凄くざっくりと説明すると、歴史書に注釈が付けられたもの。
「歴史書読んだくらいで文武両道?」
一瞬思うかもしれませんが、読んだだけではありません。「暗喩」とは本がなくても内容を話すことができる……つまりほぼ暗記していたのです。暗記するということはただ記憶力が必要というだけではなく、ある程度の理解も必要になります。
それほど読み込み、ほぼとは言え暗喩できたということはこれはかなり学問に通じていたと言えるでしょう。
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