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曹操、宿敵を破る!曹操が「官渡の戦い」で勝利できた理由とは?

2021年5月23日


 

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官渡の戦い 騎馬兵

 

官渡(かんと)の戦い」は「三国志」においての序盤の山場で、曹操(そうそう)袁紹(えんしょう)が激突した戦いです。結果は曹操軍の勝利に終わり、曹操は北中国を支配下におさめ、天下取りレースのトップに立ったのです。

 

曹操にコテンパにされる袁紹

 

当時曹操軍と袁紹軍の勢力はほぼ拮抗していましたが、結果的に曹操が勝利したのはなぜだったのでしょうか?

今回の記事で考えてみましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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官渡の戦いに至る経緯と田豊の案

袁紹

 

当時中国全土12州のうち、袁紹、曹操ともに4州ずつを支配していました。接近した両者の激突は迫っていたのです。

 

劉備と曹操

 

そんな199年、劉備(りゅうび)が曹操に反乱を起こし、袁紹に同盟を求めます。

 

田豊

 

曹操は劉備討伐に向かう事になったのですが、そこに目を付けたのが袁紹軍の参謀「田豊(でんほう)」でした。

 

袁紹を説得しようとする田豊

 

田豊は劉備討伐に向かった曹操の根拠地「許都(きょと)」が手薄なのを察知し、袁紹にそこを奇襲するように提案しました。しかし袁紹は子供の病気を理由にその作戦を拒否。田豊は持っていた杖を地面にたたきつけ悔しがったといいます。

 

関羽が大好きすぎる曹操

 

曹操は電光石火で劉備を撃破し、関羽(かんう)を捕虜にすることに成功します。ここで田豊の案を受け入れていれば、今後の展開も変わったかもしれません。曹操が勝った理由の一つにこの袁紹の決断ミスがあるでしょう。

 

関連記事:白馬の戦い前から分かれていた曹操と袁紹の明暗!その原因とも思える田豊と逢紀の人柄

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またしても田豊の案を却下する袁紹、そして官渡へ

曹操から逃げ回る劉備

 

曹操は劉備を破ると防衛体制を整え、「官渡」に進出します。

 

沮授

 

袁紹軍では持久戦を主張する「沮授(そじゅ)」「田豊」と、短期決戦を主張する「郭図(かくと)」「審配(しんぱい)」で意見が分かれていました。

 

袁紹を説得しようとする沮授

 

袁紹は短期決戦を選択します。

 

田豊は「曹操を侮るのは危険です。奇襲などで相手を疲弊させ、自軍は英気を養うべきです。きっと2年もたたないうちに勝利できるでしょう。この一戦にすべてをかけるのは危険で、きっと後悔するでしょう。」と執拗に主張します。

 

すると袁紹はなんと「田豊の発言は士気を下げる」と田豊を牢にぶち込んでしまいます。

 

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白馬での「関羽」の活躍と「荀攸」の策略

官渡の戦い

 

曹操と袁紹の戦いは「白馬」と言われる地域で始まりました。

 

荀攸

 

袁紹軍の大軍に比べると、曹操軍は少ない兵力でしたが、曹操の参謀「荀攸(じゅんゆう)」は袁紹軍を分散させる作戦を提案し、採用されます。

 

進軍する兵士b(モブ用)

 

それは少数の部隊を袁紹軍の背後で展開させ、兵力の一部を割かせる「陽動作戦」でした。袁紹はまんまと引っかかり、戦力を分散させます。

 

顔良を討ち取る関羽

 

そこで活躍したのは関羽でした。彼は「顔良(がんりょう)」「文醜(ぶんしゅう)」という袁紹軍の武将を討ち取り、序盤の戦いを制します。ここで案を拒否する袁紹と、受け入れる曹操の差が出ました。

 

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関羽

 

袁紹、裏切られる

荀彧に手紙を書く曹操

 

その後両軍は官渡に進軍しますが、そこで3か月あまりのこう着状態に陥ります。

 

曹操を励ます荀彧

 

曹操軍は兵糧が不足し、曹操は一時撤退も検討しますが、「荀彧(じゅんいく)」らに止められ何とか踏みとどまります。

 

許攸

 

袁紹軍にいた「許攸(きょゆう)」は曹操軍の状態を察知し、袁紹に許都襲撃を提案します。

 

許攸の進言を無視する袁紹

 

しかし袁紹はこれを受け入れず、袁紹に嫌気がさした許攸は曹操軍に投降します。

 

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みうらひろし

みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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