三国志演義において大一番の戦である赤壁の戦い。その後に繰り広げられる曹操の逃走劇最後の難関となるのが、関羽が待ち伏せをする華容道です。
曹操は関羽が客将だった際に目をかけたことや関所破りと守将殺しを見逃したことなどを持ち出し、情に訴えかける作戦で見事に関羽を沈黙させます。
その結果、曹操は生き延び魏建国の地盤を固めることに成功。
関羽はといえば曹操軍との戦いに破れ、孫権に斬首されてしまうので、華容道で曹操を斬っていれば歴史は大きく変わったと思えてしまうもの。
しかし、仮に曹操を斬っていたとしても劉備たちの命は長く持たなかっただろうという予想もあります。今回は関羽が曹操を斬ると劉備らが生き残れない理由とそれを回避する方法について考察していきます。
曹操の死=劉備滅亡
関羽が華容道で曹操を斬った場合に考えられるのが曹家による報復です。
馬超や孫権、劉璋といった群雄が残っているとはいえ、華北を平定した曹家の国力を考えれば拠点さえ持たなかい劉備を滅亡させるのは造作もないことでしょう。
その際、孫権が助ける可能性もありますが、孫家は曹家打倒ではなくお家や領土を守るという保守的な面が強いことが特徴。赤壁の戦いも曹家の南進があったからこそであり、侵略行為がなければ孫権は劉備と同盟を結ぼうとは考えなかったはずです。
なので、劉備を助ける可能性はほぼゼロ。むしろ曹家の目が劉備に向いている間に荊州を奪って地盤を固めるでしょう。あるいは劉備を捕らえることに協力し、褒美として荊州をもらうなどの交渉をした可能性すらあります。
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劉璋を頼る
曹家の仇敵となった劉備たちが生き残る手段として、同族である劉璋を頼るという道も考えられます。しかし、劉璋はもともと曹操に帰順しようと使者を送っているほど逃げ腰だったので、曹家が劉備を捕らえて引き渡すようにと言えば簡単に応じてしまったでしょう。
領土を持たない劉備に張松や法正といった裏切り組が力を貸すとも思えません。せめて荊州などの拠点があり、一定の兵力などを持ち合わせていれば交渉の余地はあったのではないでしょうか?
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馬超を頼る
孫権も劉璋も頼れないとなると残るのは涼州の馬超。ただ問題点としては、涼州がはるか遠方にあり、そこまで劉備らがたどり着けるのかということ。
加えて、演義における馬超は父である馬騰を曹操に殺された恨みから反旗を翻しているわけですが、その曹操はすでにいません。そうなると馬超は曹家に敵対する意味がないように思えます。
そうなると仮に劉備が助けを求めたとしても災いの元凶を受け入れるとは思えません。唯一の可能性としては、敵を討ってくれたという点に感謝して協力はするかもしれませんが、そもそも勢力としてはあまり強くないので劉備たちの運命は変わらなかったでしょう。
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蒼梧を目指す
東、西、北が駄目であれば南に活路を見い出すしかありません。
長坂の戦いで江夏に逃れた劉備一行は旧知の仲である蒼梧の太守呉臣(呉巨とも)を頼ろうと思うと動向を探りに来た魯粛に対して語っています。
これは魯粛の出方を伺う方便だったのかもしれませんが、実際に呉臣を頼ることは可能だったはず。また、知人という点からも一番助けてくれる可能性が高いわけですが、蒼梧は兵糧も兵力も乏しいと魯粛は指摘していて、孫呉を頼るように勧めています。
史実でも孫権が交州刺史として歩隲を派遣した際、すぐに降伏しているので、まともに戦えるような場所ではなかったわけです。そうなると曹家の大軍か孫権軍の手によって劉備は葬られていたでしょう。
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