姜維の暴走を止めたのは費禕だった!説得の言葉とは?


 



監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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姜維、連年の北伐を繰り返す

費禕の没後、北伐の準備に取り掛かる姜維

 

国政を掌握した姜維は堰を切ったように北伐に乗り出します。費禕が亡くなった253年からなんと5年連続の出兵です。ある程度の成果は上げましたが、魏の体制を揺るがすところまでは至らず、連年の出兵は蜀に大きな負担を与えます。

 

黄皓

 

また、蔣琬や費禕は軍事だけでなく、内政、そして劉禅の監視もしっかりとしていましたが、姜維は軍事だけに集中し、他に手が回りませんでした。そのため、国政は乱れ、劉禅は宦官(かんがん)の「黄皓(こうこう)」を信頼してしまい、風紀も乱れました。

 

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黄皓

 

 

 

蜀、滅亡する

三国志 剣閣のお城

 

姜維は黄皓と対立し、成都(せいと)(蜀の首都)に戻ることができなくなります。蜀の混乱を察知した魏は263年、大軍で蜀に侵攻します。姜維は天然の要害「剣閣(けんかく)」で魏軍を必死に防ぎますが、魏の「鄧艾(とうがい)」が、前人未到のルートで成都に迫り、劉禅は降伏し蜀は滅亡します。

 

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トウ艾

 

 

 

費禕の予言通りになる

姜維

 

費禕は「内政に力を注ぎ、人材を待て」と、姜維に話しますが、彼はそれを無視し、内政を試みず、自分の力量だけを頼りにし、結局国を衰退させてしまいました。魏が侵攻してきた際も、頼りになる人材も育っておらず、まさに費禕の予言通りになってしまったのです。

 

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鍾会の乱

 

三国志ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

費禕は姜維の野心を見抜き、その暴走を止めることには成功しました。しかし、費禕の死後は姜維はブレーキが全く利きませんでした。もし、魏が費禕が死ぬことで姜維が暴走することを予想していたならば、それはかなりの諜報力があったと言っていいでしょうね。

 

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ながら三国志

 

 

 

 

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みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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