北方謙三先生の『三国志』シリーズ(以下、「北方三国志」とします。)には、多彩な登場人物が登場します。今回は、そんな「北方三国志」の登場人物の中でも、序盤から終盤まで登場する主人公格の一人である曹操について解説していきたいと思います。
若き日の曹操
「三国志」において、知らぬ者はいない大英雄こそが、曹操という人物です。もちろん、「北方三国志」でも曹操は主人公の一人ともいえ、駆け出しの若かりし頃から、その最期に至るまで、曹操という男の生涯が事細かに描き出されています。
若き日の曹操は、まさに貴公子といえる人物でした。父は後漢の重職を歴任した曹嵩であり、その子である曹操も官界に進み、出世の道を歩んでいました。しかし、若き日の曹操には一つのコンプレックスがあったのです。それは、宦官の家系であったということです。
子孫を残せない宦官は、儒教の価値観では唾棄すべき存在であり、曹操も祖父が宦官であったことから、しばしば周囲から蔑まれており、これが若き日の曹操にとっては深い心の傷となったのです。
しかし、黄巾の乱をきっかけにその卓越した軍才が開花し、頭角を伸ばした曹操は、後漢王朝を私物化する董卓と戦うべく、一族の夏侯惇・夏侯淵・曹洪・曹仁らとともに挙兵し、旧知の袁紹と共に反董卓連合を結成して戦いに身を投じていくことになります。
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挫折と苦難を経て強くなっていく曹操
戦の天才として有名な曹操ですが、「北方三国志」ではそんな曹操の敗戦や挫折、苦難がしばしば描かれます。例えば、董卓との戦いでは、まとまりを欠いた連合軍にしびれを切らして単独で突撃し、手痛い敗北を喫しています。
その後、青州黄巾との戦いでは圧倒的な敵の大軍に対してわずかな手勢で戦いを挑み、何とか勝利したものの、盟友の鮑信を失うなど、大苦戦しています。さらに、張繍との戦いでは、女に溺れてしまったせいで敵の奇襲を許し、息子の曹昂を失っています。
このように、曹操は完璧ではなく、しばしば戦いでは敗れているのです。しかし、苦戦や敗戦を経験するたびに曹操は強くなっています。
例えば、董卓との戦いに敗れて命からがら生還した際には、董卓と戦おうとしない連合軍を痛烈に非難して離脱し、兗州に自らの本拠地を置くことでその後の雄飛のきっかけとしています。また、青州黄巾との戦いでは、死を覚悟するほどの苦戦を経験しますが、苦戦の末に降した青州兵は後に曹操軍の主力を担うことになるのです。
このように、挫折と苦難を乗り越えて強くなる曹操は、読者に勇気と希望を与えてくれるのです。一般的なダークヒーローとしての曹操像のみならず、こうした正統派のヒーローとしての曹操像を提示しているところも、「北方三国志」の大きな特徴ですね。
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曹操の志と軋轢
曹操は始め、官界に身を置いて朝廷での出世を目指していましたが、黄巾の乱や董卓との戦いを経て朝廷から距離を置いた結果、後漢王朝の腐敗はいかんともしがたいことを実感します。
そして、曹操は後漢の腐敗を正し、万民の安寧を図るためには、「腐った血統」である後漢王朝を滅ぼし、自らが新たな王朝を打ち立てるしかない、という結論に至ります。こうして、天下統一、そして新王朝の創立という志を立てた曹操は、自らの志を実現すべく、さらなる戦いを繰り広げていきます。
ここからの曹操は、一般的な曹操像をなぞるように描写されることが多く、目的のためには手段を選ばないダークヒーローとして描かれています。
しかし、後漢王朝を滅ぼし、「革命」を成し遂げようとする曹操の覇業は、数多くの軋轢と対立を生むこととなります。漢室の末裔であり、漢王朝の復興を目指す劉備とは、宿敵同士として数多くの戦いを繰り広げていきます。
そればかりでなく、曹操陣営の内部からも、曹操の覇道に疑問を呈するものが現れます。
曹操の盟友であり、曹操が最も信任していたはずの荀彧もまた、後漢王朝の維持を主張し、曹操とは対立していくようになります。
この結果、理想的な主従であったはずの曹操と荀彧の関係は徐々に崩れ、荀彧は悲劇的な最期を迎えるようになります。
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曹操の最期
曹操本人の卓越した能力と、優秀な部下たちに支えられ、曹操は呂布や袁術、馬超といったライバルを蹴散らし、着々と覇道を進んでいきます。しかし、そんな曹操の前に立ちはだかったのが、劉備と孫権という二人の英雄でした。
曹操は赤壁の戦いでこの二人に敗れ、その後も、益州に拠った劉備との漢中争奪戦でも敗れることとなり、結局のところ、天下統一を果たすことはできませんでした。
志を果たすことができず、自らの覇道のために盟友を失ってしまった曹操でしたが、それでもやはり曹操は一代にして天下の大半を手中に収めた英雄であり、その最期も「北方三国志」では、英雄の最期にふさわしいものとして描写されています。
ここまで読んで、曹操がどのような最期を迎えたか気になるという方は、ぜひ「北方三国志」を手に取って読んでみてください。北方謙三先生が紡ぎ出す、曹操という漢の生きざまに圧倒されること間違いなしです。
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三国志ライター Alst49の独り言
いかがだったでしょうか。「北方三国志」の主人公の一人ともいえる曹操ですが、やはり主人公格ということもあり、曹操の生きざまというのは「北方三国志」の重要な一部を占めています。
その中で、曹操は時には苦しみや悩みを抱えつつもそれを乗り越えていく英雄として、またある時には、目的のためには手段を選ばない孤高のダークヒーローとして描かれています。
こうした多様な側面を持つ曹操の人物像こそが、「北方三国志」という物語に深みを持たせているのです。こうみれば、曹操という人間の持つ魅力をここまで鮮やかに描き出している作品は、「北方三国志」をおいて他にはないのではないでしょうか。
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