小説「三国志演義」では正史「三国志」とは違う、様々な創作が行われています。今回紹介するのは「三国志演義」において諸葛亮が魏の功臣「曹真」に送った手紙です。
これが諸葛亮のイメージと違う、酷いスパムメールだったのです。その手紙と、正史「三国志」の史実の曹真の功績についても今回は見てみましょう。
この記事の目次
諸葛亮が曹真に手紙を送った経緯
「三国志演義」においての諸葛亮が手紙を送った経緯を見てみましょう。
「魏への北伐の途中で諸葛亮が倒れた」
との報告を受けた曹真らは、蜀の討伐を皇帝「曹叡」に進言します。
皇帝はこれを受け入れ、40万もの大軍を蜀征伐に向かわせます。
大軍を指揮するのは曹真と司馬懿です。
しかし、魏が大軍を動かしたとき、実は孔明の病は回復していたのです。
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【北伐の真実に迫る】
孔明、長雨を予想し、魏軍の撤退を確信する
蜀軍では魏の大軍に恐れをなしていましたが、孔明は冷静でした。孔明は天文の知識があり、もうすぐ大雨、長雨がやってくることを予想していたのです。実際に長雨が到来し、がけ崩れでの進軍の困難や、食料の不足が発生し始め、魏軍は撤退を余儀なくされます。
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司馬懿と曹真、賭けをする
魏軍が恐れていたのは蜀の追撃でした。弱っていたところを襲われてはひとたまりもありません。しかし、一向に追撃される気配はありません。
司馬懿は諸葛亮の追撃を予想しますが、曹真は信じず、二人は賭けをします。もし追撃が無かったら、司馬懿が女装して曹真にひれ伏し、もし追撃があった場合は名馬を贈ると曹真は約束したのです。
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曹真敗戦で病に伏せる
司馬懿の予想通り、追撃はあったのです。諸葛亮は魏の兵に偽装した伏兵を曹真の陣に送り込み、彼の軍を散々に打ち破りました。曹真は危機一髪のところを司馬懿に救われます。
そして「賭けに負け、多くの将兵を死なしてしまった、すまん。」と司馬懿に謝罪します。
しかし司馬懿は「私が賭けをしたのは曹真さまを引き締めるためです。」とフォローをしました。しかし、曹真はこの時に受けた傷がもとで病に臥せってしまうのです。
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諸葛亮、スパムメールを曹真に送る
蜀でも曹真が病に臥せっている情報をキャッチしました。しかし、その病が重いのか、軽いのかがわかりません。それによって今後の戦略が変わってくるのです。
そこで諸葛亮は曹真に手紙を書くことにしました。それは曹真が激怒するような酷い手紙を送り、もし曹真が怒り、兵を出して来れば病は軽く、出してこなければ病は重い、という理由でした。
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