孫尚香と言えば、言わずとしれた有能で酒色に溺れることなく規律正しく沈着冷静な呉皇帝、孫権の妹。と言っても孫尚香という名前は京劇から付けられた名前で、実際には孫夫人と呼ばれます。
三国志演義では三国志版ロミオとジュリエット、悲恋の果ての二人ですが、実際にはそんな関係ではなかったと言われる劉備と孫夫人。しかしそれもこれも孫権の想定内の話だった……!?
今回はそんな全ては呉王様の掌の上のお話です。
この記事の目次
三国志演義で呉国太に気に入られた劉備
さてここからはまず三国志演義のお話が続きます。発案は周瑜。劉備を危険視した彼は孫権の妹、孫夫人と劉備を政略結婚させ、もてなしにもてなしで堕落させようぜ!と孫権に持ちかけるのですが、二人は親子ほど年が離れており、孫夫人の母親の呉国太は大反対。
しかし劉備と会うとその溢れる仁徳に感じ入った呉国太は、劉備を見込んで娘を嫁がせることになり、豪華な酒宴が何日も開かれます。
劉備大喜び。周瑜してやったり。
護衛の趙雲大慌て。
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劉備を呉に軟禁する周瑜の策を見抜き蜀にトンズラ
ここで趙雲、諸葛亮に授けられていた策で強制的に劉備を帰国させることに。しかし予想外、ここで孫夫人は劉備に同行することに。逃亡した一行を大慌てで追いかける呉の武将たち。
しかし彼らに対峙するのはなんと孫夫人その人。「私の夫に何をしようと言うのか!」孫夫人は彼らを一喝しては追い返し、劉備たちは無事に国へと帰れることになりました。
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母危篤の知らせに劉禅を連れ呉に帰る孫尚香
二人の間に子供こそできなかったけれど、夫婦は仲睦まじく過ごしました。そんなある日、孫夫人の元に母親危篤の知らせが。「母君は最期に孫の顔をご覧になりたいと……」驚いた孫夫人は太子、劉禅を連れて宮殿を抜け出し、呉へと帰国しようとしました。
しかしこれを察知したのが我らが趙子龍。単騎駆けに定評がある彼が速攻で追いかけ、更に張飛も合流して戻るように、と警告します。
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劉禅を趙雲に帰し呉で生涯を閉じる孫尚香
しかし母親が危篤であるというのに帰らないという選択肢はない孫夫人。どうにか劉禅だけは返すことを了承させ、彼らは夫人を見送りました。しかし帰国して見ると元気な母親。
騙されたと知るも既に遅く、劉備の元に帰れないまま実家で過ごした彼女は、後に夷陵の戦いで劉備が戦死したという誤報を受け、長江に身を投げてしまったと言います。
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正史ではとんだ乱暴者な孫尚香
さて涙で長江も氾濫するのではないかという三国志演義のストーリー。しかし正史ではほぼ違う人物となっています。そもそも記録が少ないのですが
・気が強くて傲慢不遜
・周囲とトラブルばかり
・身の回りの人物たちも素行が悪い
・犯罪までやった
・普段から威嚇行為を繰り返す
・正史での母親は不明(身分が良く分からない)
と、政略結婚で良くもまあこんな妹を嫁がせたな呉王様……と思うような女性です。
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