本当に破天荒?正史三国志から読み取る孫尚香(孫夫人)の人物像

2022年2月17日


 

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孫尚香

 

三国志演義」には数多くの女性が登場しますが、その中でも異彩を放つ女性が劉備(りゅうび)の夫人の一人であった「孫尚香(そんしょうこう)」(孫夫人)でしょう。

 

劉備 結婚

 

呉の孫権(そんけん)の妹として劉備と政略結婚をした彼女でしたが、武を好み、侍女たちを武装させて従わせるという破天荒な女性であり、劉備達との間に一騒動を巻き起こした女性としてよく知られています。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)書類

 

今回は、そんな「孫尚香」について、「正史三国志」にはどのように描かれているのか、詳しく見ていきたいと思います。※孫権の妹にして劉備の正室となった孫夫人の本名は「正史三国志」「三国志演義」のいずれにも明確な記述がなく、有名な「孫尚香」は『甘露寺』という京劇の登場人物の名前から名づけられています。

 

今回の記事では、わかりやすくするために孫夫人のことを「孫尚香」と呼称することとします。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志演義の孫尚香

三国志演義_書類

 

まずはお馴染みともいえる「三国志演義」の孫尚香について見ていきたいと思います。「三国志演義」では、孫尚香が劉備から荊州(けいしゅう)を取り返すための周瑜(しゅうゆ)の計略に利用されます。

 

周瑜

 

周瑜は孫権の妹である孫尚香と劉備との結婚を画策し、劉備を呉に呼び寄せて暗殺しようとします。しかし、孫尚香の母である呉国太(ごこくたい)が劉備を気に入ったために両者の結婚は成立してしまいます。

 

劉備とイチャイチャする孫尚香

 

劉備と孫尚香の年の差は30歳近くもあったとされていますが、結婚後の二人の仲は良かったとも言われており、劉備は孫尚香を引き連れて荊州に戻ることとなります。その後、再び荊州を巡って劉備と孫権が対立すると、孫権は呉国太が危篤という情報を伝え、孫尚香を帰国させようとします。

 

劉禅

 

孫尚香は劉備の息子である阿斗(あと)劉禅(りゅうぜん))を連れて後に帰国しようとしますが、趙雲(ちょううん)張飛(ちょうひ)らに阿斗を奪い返され、一人で呉に帰国することとなります。この後、孫尚香と劉備が再会することはなく、二人は生別することとなりました。

 

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劉禅

 

 

 

正史にはほとんど見られない孫尚香の記述

正史三国志_書類

 

「三国志演義」の孫尚香についてふれたところで、「正史三国志」の孫尚香について見ていきましょう。「正史三国志」では、孫尚香はほとんど登場しません。

 

主観が入りまくりな裴松之

 

法正伝(ほうせいでん)」と、後世に書かれた書物を引いた裴松之(はいしょうし)の注にわずかに言及が見られるのみです。そこで、ここではそれぞれの記述を見ていきたいと思います。

 

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「法正伝」における孫尚香

清々しいほど性格が悪い法正

 

「法正伝」によれば、劉備が益州(えきしゅう)を占領した後、劉備の入蜀を支えた法正は蜀郡太守という要職に就いています。この際、法正はかつての恩讐の全てに報い、彼が恨みを抱いた者に至っては数人を殺傷しています。

 

法正をなんとかしてほしいと孔明に相談する文官たち

 

これについて、ある者が諸葛亮(しょかつりょう)に「主公(劉備)にかけあって法正のやりたい放題をやめさせてもらいたい」と求めたところ、諸葛亮は「主公(劉備)が荊州にいたとき、北には曹操(そうそう)、東には孫権、内には孫夫人の脅威があり、この時主公が飛躍を遂げたのは、法正のお陰である」と言って取り合わなかったと言います。

 

呉の諸将を論破する諸葛亮孔明(セリフなし)

 

このように、「正史三国志」を見れば、諸葛亮が孫夫人を明確に曹操・孫権と並ぶ脅威として捉えていることが分かります。さらに、同じ箇所では、孫夫人は勇猛な女性であり、侍女百余人が皆武装しており、劉備が孫夫人のもとに通うときには常に恐怖を感じていたと書かれています。こうしてみると、「三国志演義」の男勝りな孫尚香像というのは、あながち史実から外れたものでもないのかもしれませんね。

 

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法正

 

 

「穆皇后伝」の注に見られる孫尚香の記述

同年小録(書物・書類)

 

一方、「穆皇后伝(ぼくこうごうでん)」の注にも、孫尚香の記述がわずかながら見られます。ちなみに、「穆皇后」というのは劉備の皇后の一人であり、益州の有力者であった呉懿(ごい)の妹でした。

 

彼女は、おそらくは劉備の夫人であった甘夫人(かんふじん)糜夫人(びふじん)の死後、劉備が益州を征服したのちに迎えた夫人だったと考えられています。

 

西遊記巻物 書物_書類

 

「穆皇后伝」の注が引く『漢晋春秋(かんしんしゅんじゅう)』(東晋習鑿歯著(しゅうさくしちょ))という書物によれば、劉備と孫尚香が結婚した後、孫尚香は劉備と共に入蜀しますが、呉の孫権は孫尚香を連れ戻そうとします。

 

呉の使者とともに孫尚香が帰国する際、太子(劉禅)を引き連れていこうとしますが、諸葛亮は趙雲に兵を率いさせて長江で待ち構えさせ、太子を奪還することに成功します。

 

水滸伝って何? 書類や本

 

『漢晋春秋』というのは「正史三国志」よりもやや後の時代の書物であり、蜀漢正統論を唱え、・呉を蔑むという側面がある著作であることは留意すべきですが、これを見る限り、やはり孫尚香が阿斗(劉禅)を連れて呉に帰国するが、趙雲に阻まれて阿斗を奪還されるというところは、「三国志演義」と重なります。

 

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いかがだったでしょうか?

 

孫尚香

 

「三国志演義」の男勝りな孫尚香というキャラクターは、いかにも荒唐無稽で「三国志演義」の創作のようですが、「正史三国志」を調べてみると意外や意外、男勝りな孫尚香の姿は「正史三国志」にもしっかりと描かれていました。

 

史実を脚色しているところが多い「三国志演義」ですが、史実に基づいているところはしっかりと史実をもとにしているということなのですね。

 

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佞臣

 

 

 

 

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大学院で西洋古代史を研究しています。中学1年生で横山光輝『三国志』と塩野七生『ローマ人の物語』に出会ったことが歴史研究の道に進むきっかけとなりました。専門とする地域は洋の東西で異なりますが、古代史のロマンに取りつかれた一人です。 好きな歴史人物: アウグストゥス、張遼 何か一言: ライターとしてまだ駆け出しですが、どうぞ宜しくお願い致します。

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