廖化はタイムトラベラー?周倉と同期に登場後、姿を消し十年後に登場する不思議

2022年10月4日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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周倉

 

皆さんは周倉(しゅうそう)と廖化(りょうか)、と言われると、どんなイメージがあるでしょうか。筆者は三国志演義(さんごくしえんぎ)から三国志沼にどぼーんしていったので、二人とも関羽(かんう)の配下、というイメージがあります。だけどこの二人、配役がかぶっているのにその後の明暗がえらい違う……というのはご存知でしょうか?

 

今回は周倉と廖化について、色々とお話したいと思います。(文:セン)

 

 

三国志演義にしか登場しない周倉と正史にも出てくる廖化

周倉

 

さてまずはっきりとさせておかなければならないのは。

 

周倉は三国志演義にしか登場せず、廖化は正史に記述されている、ということです。その廖化の登場は関羽の主簿をやっていたという所から。それ以前は不明ですが、関羽が討たれた後は呉に一時身を寄せたものの、蜀(しょく)に帰順しています。

 

父・関羽とともに亡くなる関平

 

劉備(りゅうび)もこれを喜んだというので、悪感情は抱かれていなかった模様。その後は廖化は数少ない蜀の将の一人となります。

 

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蜀の長生き将軍だった廖化

廖化 四龍将

 

後は諸葛亮(しょかつりょう)の、そして姜維(きょうい)と共に北伐に参加しています。人々は「前に王平(おうへい)、句扶(こうふ)あり、後に張翼(ちょうよく)、廖化あり」と語り合ったとされ、游奕(ゆうえき)の軍団を打ち破り、王贇(おういん)を討ち取るなどの活躍も重ねている武将でした。

 

諸葛瞻

 

因みにこの時点でかなり老将であったようで、諸葛瞻(しょかつせん)が政治を取り仕切るようになった時に宗預(そうよ)に一緒に挨拶に行こうと声をかけて

 

「70も過ぎて若い奴に媚びを売るな!みっともない!(意訳)」と言われた、という逸話が残っています。

 

蜀軍を誘い込んで一網打尽にする計略を考えつく陸遜

 

黄忠(こうちゅう)もそうですが、蜀は老将が頑張りますね……まぁ若い人たちは夷陵(いりょう)で……うん。

 

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蜀滅亡後、長旅に耐えられずに病死か?

囚人護送車に乗せられドナドナ状態のトウ艾(鄧艾)とトウ忠(鄧忠)

 

さて廖化は、その後、264年に護送される中、病死したとあります。そもそも生年が不明なので正確な年齢は分かりませんが、諸葛瞻が261年に平尚書事(へいしょうしょじ)になっていることを踏まえると、その頃には70を超えていた、ということになります

 

若く見ても73歳ほどになりますから、かなりの高齢であったことは間違いないでしょう。ここから逆算すると、大体の年齢は想定することはできますね。さて、これを踏まえて三国志演義を見てみると、とんでもないことになります。

 

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裴元紹は置き去り…周倉のみが関羽のお供に

赤兎馬に乗った関羽に出会う周倉

 

では三国志演義の周倉の登場回を簡潔に述べてみましょう。それは巷で噂の関羽千里行(せんりこう)の途中、関羽が一夜止めてくれたお家の息子が赤兎馬(せきとば)を盗もうとしますが、失敗。そこで山賊・裴元紹(はいげんしょう)にサポートを頼み、道中で関羽から赤兎馬を盗もうと画策。

 

周倉と裴元紹

 

しかしやってきた関羽を見て裴元紹ビックリ、関羽も何で自分を知っているのかとびっくり。それは仲間の周倉が関羽のことを慕っていたから……周倉出てきて関羽の配下にして欲しい!と懇願。

 

だけど奥方様が「黄巾賊の残党の人はちょっと……」とお断り、ここ重要。紆余曲折(うよきょくせつ)あって周倉だけ連れていけるようになったので、周倉は裴元紹に「いずれ迎えに来るよ!待っててね!(フラグ)」という流れになります。

 

京劇コスチューム趙雲

 

因みにこの後、裴元紹は趙雲(ちょううん)に斬られてしまうので仲間になりません。どうして出したの

 

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廖化も山賊で関羽の手下になろうとして拒否される

 

では廖化の登場はと言うと、実はこの周倉登場よりもちょっと前です。廖化は黄巾賊の残党という、これからちょっと聞くようになる立場で登場してきます。

 

そして仲間の一人が劉備の奥方をさらったことに怒り、これを処断して関羽に奥方を届け、部下の首を差し出します。

「関羽様の配下にして下さい!」と頼みます。(どこかで聞いた)

「黄巾賊の残党の人はちょっと……」と関羽に断られます。(どこかで聞いた)

その後、関羽は前述したように周倉を仲間にします。(廖化は断ったのに)

 

そして数年後、関羽の配下をしている廖化の姿が!と時代ワープする……という流れです。

 

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周倉と廖化は境遇が似ていた

劉封

 

そう、実は周倉と廖化、登場からすると廖化と周倉、殆ど仲間になる流れが一緒なのです。ほぼかぶっていると言って良いでしょう。

 

そして廖化は断られ、周倉は仲間にされます。なのになぜか、廖化は後に関羽の配下になり、更に劉封(りゅうほう)の処断を訴えるという割と重要な役回りを与えられます。いや周倉を仲間にする流れがあるならそこで仲間にしたらいいじゃない……とか突っ込んでしまうのは野暮でしょうか?

 

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関羽に殉じた周倉と蜀滅亡まで生きた廖化

三国志を楽しく語るライターセン様

 

さて更にもう一つ突っ込んでよろしいでしょうか。廖化は申し上げたように、正史では264年ほどまで生きますね。三国志演義でもこれは変わりません。

 

そして三国志演義で廖化は、184年の黄巾の乱の残党です。……え、何年生きている計算!?となっちゃう訳ですね。

 

そして周倉は途中で関羽が首だけになったのを見て飛び降り自殺、廖化は前述したように生き延びます。周倉は死しても尚、関羽に付いていった忠義の将とされるのに対し、廖化はその後、北伐で諸葛亮に関羽と比べてディスられる始末……あんまりではないでしょうか。

 

 

羅貫中と関羽

 

正史と架空、登場もほぼ同じなのに、最期の最期で明暗が別たれる二人。もしかして羅漢中先生、あんまり廖化は好きではなかったのかな……?なんて思う、筆者でした。

 

 

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

因みに三国志演義では北伐の最中、廖化は司馬懿(しばい)をあと一歩まで追い詰めるも逃げられてしまいます。これを諸葛亮は表向きは称えつつも、内心では「関羽殿ならば司馬懿を討ち取れたのに……」と思い耽ります。

 

これは諺(ことわざ)となり「蜀中に大将なし。廖化を先鋒(せんぽう)にする」と言われ「人材不足」もしくは「有能な人材が乏しい」という状況で使われるんだとか。長生きして最期まで蜀に尽くした武将の一人なのに……と思い耽る筆者でしたとさ。

 

 

センさんが三国志沼にドボン a

 

どぼーん。

 

参考文献:三国志演義 蜀書廖化伝

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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